
NHK出版が出している「哲学のエッセンス」
第1弾は『プラトン―哲学者とは何か』。プラトンの『対話篇』
ソクラテスと言えば「無知の知」が有名ですが、
ある時、ソクラテスの友人がデルフォイのアポロン神殿に赴き、「
ソクラテスは神託に困惑し、世間で「知者」
ところが、政治家、詩人、職人たちは、当初の予想に反して、
ソクラテスは、神託の意味をこう解釈しました。
ソクラテスは自らの不知を証すために、そして人々の誤った「
「真に神を、その知と存在の絶対性において認めることは、逆に、
例えば、ソクラテスは「(政治に必要な)勇気とは何か?」
アポリアに陥った者は、
プラトンの従兄であるクリティアスもまた、
前5世紀末のアテナイでは、
元々民主政に批判的であったプラトンは、寡頭政治に大きな期待を寄せていました。ところが、彼らが「
勢力を盛り返した民主派はクリティアスらを敗死させ、
プラトンは、
ソクラテスは、クリティアスの「思慮深さ」の理解に欠点があり、
プラトンがクリティアスの失政から学んだのは、
しかし、一部の限られた人が絶対的に正しいことを追求する政治というのは、全体主義的な香りがします。
一部の人だけが絶対知に至るということは、残りの人は中途半端な知にとどまるということです。だからと言って、政治があらゆる人のためのものである以上、絶対知は中途半端な知を簡単に排除することができません。中途半端な知を内包しながら絶対性を志向することは果たして可能でしょうか?
また、プラトンは政治の目的を「人々がより善く生きること」だとしましたが、より善く生きるのは絶対知を有する側であって、絶対知に従う側、すなわち中途半端な知にとどまる側は「より善く生かされる」にすぎず、政治の目的はついに果たされることがないようにも思えます。
何よりも、絶対知を求める哲人は、先ほどの引用文を借りれば「人間に許されるかぎり神に似ようと努め」ているわけですが、神に近づくことはできても神になることはできません。
ということは、哲人の知は決して絶対知ではなく、どこまで行っても中途半端な知なのであり、哲人政治の結末は恐怖政治を行ったクリティアスとさして変わらないのではないかという気もします。
全体主義は理想としては結構なのですが、本質的に論理矛盾をはらんでいます。それゆえ、最初は華々しい成功を収めても、最後は派手に破綻することを歴史が証明しています。
アメリカは伝統的に全体主義を忌み嫌っており、現在でもいくつかの全体主義的な国家を敵視しています。ところが、個人的にはそのアメリカ自身も全体主義的な思想を育んでいるように感じられる時があります。
一部の限られた人が絶対知を追求するから全体主義は論理破綻すると書きました。ならば、全員が絶対知を追求すれば問題は起きない、とアメリカの一部の人は考えているようです。
経営学の分野で2000年代から注目されている「学習する組織」、「U理論」、「ティール組織」は、まさにソクラテスのような対話を通じて人々の偏見や思い込みを取り除き、個々の違いを乗り越え、全員が意識レベルを統一させて新しい地平、標準、規範を切り拓く、という点で共通しています。
端的に言えば、全員が神を目指しています。その意味で、より高度な全体主義と言えます。しかしながら、繰り返しになりますが、人間は神に近づくことはできても、神になることはできません。結局、不完全な知が全体を破滅させるリスクから逃れることができないと思うのです。
全員の知が中途半端であることを自覚し、その中途半端な知を持ち寄って、暫定的な解を導き出しながら漸進することが、本当の意味で「より善く生きる」ことになると個人的には思うものの、世界はなかなかそう信じてくれないようです。
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