
【書き下し文】
子の曰わく、利に放(よ)りて行なえば、怨み多し。
(里仁第四 第12章)
【現代語訳】
先生がいわれた、「利益ばかりにもたれて行動していると、怨まれることが多い。」
ビッグモーターの例を出すまでもなく、利己的な企業が利益ばかりを追求すると、やがて社会から疎まれる存在となります。
イギリスの経済学者であるアダム・スミスは『国富論』の中で、市場のプレイヤーが利己的に振る舞っても、最終的には「神の見えざる手」によって均衡に落ち着く、と説きました。しかし、スミスにはもう1つ重要な著書があります。それが『道徳感情論』です。
『道徳感情論』の中でスミスは、共感(sympathy)こそが社会秩序の基盤となると唱えています。共感とは、他人の感情や行為の適切性を評価する能力であり、利害対立を超えた公平な判断を下すには、賢人(wise man)が必要だとしています(※1)。
スミスは決して利己的な個人ばかりを想定していたわけではありません。共感に基づく道徳、端的に言えば利他の心がなければ、社会は成り立たないのです。
日本には古くから、道徳と利益を両立させる精神が根づいています。江戸時代の商人の間では、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」の志が共有されていました。明治時代に入ると、渋沢栄一が「『論語』で事業を経営してみせる」と言って何百もの企業に関わり、晩年には『論語と算盤』という著書も残しました。
マネジメントの父と呼ばれるピーター・ドラッカーはどのように考えていたのでしょうか?まず、『現代の経営(下)』の中でこのように述べています。
「最も重要な結論は、社会のリーダー的存在としてのマネジメントの社会的責任とは、公共の利益をもって企業の利益にするということである。
マネジメントは公共の利益に無関心でいることはできない。しかも、自らの利益を公益に従属させるだけでは十分ではない。まさに公益を自らの利益とすることによって、公益と私益の調和を実現しなければならない」(※2)
企業は公益、すなわち社会のニーズに広く関心を持たなければならないと説いています。一方で、『断絶の時代』にはこんな記述も見られます。
「組織が自らの強みでない領域にある問題に手を出すことは、社会的に責任ある行動とはならない。自らの仕事に集中して社会のニーズを満たすとき、初めて社会的に責任ある行動となる」(※3)
つまり、企業の社会的責任は極めて限定的ということになります。
『未来企業―生き残る組織の条件』によると、1960年代に「法人資本主義(※4)」という言葉が流行したそうです。
「経営陣は、『啓蒙専制君主』として、株主、従業員、消費者、納入業者、地域社会、さらには経済社会一般の利害を最もよくバランスさせて、企業を運営することを約束した」(※5)
現在で言うところの「ステークホルダー資本主義」です。しかし、意外なことにドラッカーはこれを快く思っていませんでした。
「われわれのうち何人かが直ちに指摘したように、(中略)成果の定義も、『バランス』に関する『最もよく』の意味するところも、明確にされていない」(※6)
ドラッカーは、「企業の富の創出能力を最大化」させることこそが、ステークホルダーの期待と目的を満足させる上で必要だと論じています。
個人的には、ドラッカーの説明は実務的にはあまり有益ではないと感じます。「企業の富の創出能力の最大化」とは何を指しているのか、一般の経営者にはピンときません。
現実問題として、企業にはあらゆるステークホルダーから様々な要望が寄せられ、それらのバランスが求められています。そして、企業が苦手としている領域においても、必要な能力を獲得して対応しなければなりません。
多くの企業は、組織の目的としての経営理念を定めています。それは、顧客のニーズを先取りし、あらゆる社員を束ねるものです。そして、多様な価値観を持つ社員の心を1つにするための手法として、アメリカでは学習する組織、U理論、ティール組織などといったコンセプトが提唱されています。
我々はそれらを自社の社員に対してだけでなく、顧客、取引先、地域社会、株主、その他考え得る様々なステークホルダーとの対話にも応用しなければならないのかもしれません。
一方で、顧客、取引先、地域社会、株主は、自社とのみ関わりを持っているわけではなく、かつそれぞれが固有の目的、ビジョンを抱いています。社員ですら、副業・兼業が認められつつある現在は、特定の企業と一蓮托生にはなりません。企業は、自らのステークホルダーをがっちりとした絆で結びつけることはもはや不可能です。この社会は、多様な想いが散りばめられた曼荼羅なのです。
アダム・スミスは共感が大事だと言いました。共感とは、SNSで「いいね!」を押すように、「あなたの考えに賛同する」という意思表明です。しかし、SNS上では「いいね!」の数を競い合う現象があるように、共感は仲間集めの競争になります。その裏では、仲間外れが生じます。
ありとあらゆる価値観や思考(志向)が交錯する現代においては、仲間外れを最小限にしなければなりません。紛争だらけの世の中はご免です。求められているのは、共感よりも「尊重」だと考えます。「そういう考え方もあるよね」と受容する態度のことです。
現代の企業は、自らの経営理念によってステークホルダーを惹きつけつつも、それぞれのステークホルダーを尊重するという、行きつ戻りつのような、極めて困難な仕事を遂行しなければならないでしょう。たとえ考え方が違っても、相手のために貢献しなければならない局面が増えることでしょう。
(※1)名和高司(2021)『パーパス経営―30年先の視点から現在を捉える』東洋経済新報社
(※2)ピーター・ドラッカー(2006)『現代の経営(下)』上田惇生訳、ダイヤモンド社
(※3)ピーター・ドラッカー(2007)『断絶の時代』上田惇生訳、ダイヤモンド社
(※4)一般に「法人資本主義」とは、「大企業の大株主がほとんど全て法人であり、しかも法人大株主間で株式が相互持合いされることによって、企業が自然人ではなく法人本位に経営されるような資本主義体制」のことで、かつての日本に特有のものを指す。
(※5)ピーター・ドラッカー(1992)『未来企業―生き残る組織の条件』上田惇生・佐々木智男・田代正美訳、ダイヤモンド社
(※6)前掲書
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