乱気流時代の経営(ブログ用)

本書が発表されたのは1980年、ドラッカーが71歳の時です。

現在では当たり前になっている先進国と新興国との間の「生産分担」(先進国が製品を企画・設計し、新興国が製品を生産するという役割分担のこと)が主流になることを人口動態の変化から見抜くなど、ドラッカーの慧眼ぶりにはいつも驚かされます。

今回の記事では、本書の要点を5つにまとめた上で、それらを批評的に読む視点を提示したいと思います。

《要点》
①(本書が執筆された1980年から遡って)最近の10~15年の間は、生産性の伸びが低下しており、インフレを引き起こす原因となっている。インフレの下では、カネの価値が減少していく。企業はまず生き残るために、キャッシュフローを確保しなければならない。

また、インフレとはカネ余り、モノ不足の状況であるから、生産性を上げることで供給量を増やし、この状況を打破する必要がある。

経済発展とは、資本形成の能力、すなわち、過去と現在のコストをまかなった上での余剰を生み出す能力にかかっている。第一に、企業はインフレによって過大に評価されている自社の利益をインフレ率に応じて修正しなけばならない。第二に、その修正利益が自社の事業継続に必要なコストを上回っているかを検証しなければならない。

②先進国では少子化によって、従来の肉体労働に従事する人口が減少していき、同時に学校教育の延長によって、知識労働者が増加していく。よって、知識労働者のための雇用創出が課題となる。一方、途上国では、乳幼児の死亡率の低下によって人口爆発が起こるため、彼らの雇用創出が課題となる。

先進国と途上国の雇用の課題を一挙に解決するのは「生産分担」である。すなわち、先進国がマネジメントやマーケティングを担い、途上国が生産を担うというスキームである。従来、先進国の多国籍企業は他の先進国に投資するのが一般的だったが、これからのグローバル企業は途上国に投資することとなる。

③生産分担の進行により、先進国においては肉体労働の割合が減少していく。そのため、伝統的な産業に従事する肉体労働者をいかに新しい知識労働に適応させていくかが重要な政治課題となる。もし、政治がこの課題の解決に失敗すれば、肉体労働者はマイノリティながら政治に対して強い圧力をかけることになるであろう。

④グローバル経済の出現によって、国家主権に裏打ちされた通貨は終焉を迎える。真に求められるのは、グローバルの購買力と連動したグローバル通貨である。他方、政治の世界では国家の分裂が進み、小国が相次いで誕生していく。経済レベルでは統合が進み、政治レベルでは分裂が進むこの現状を、企業家は機会と見なさなければならない。

⑤国内も多様な組織が織りなす多元社会となる。企業は様々なステークホルダーと関係を持たなければならない。ただし、企業は自社が強みを発揮できない分野についてまで社会的責任を負うべきではない。企業はまず、最大のステークホルダーである顧客の利益を「最適化」する必要がある。その他のステークホルダーのニーズは「満足化」するにとどめるべきである。

《感想》
①生産性が低下するとモノの供給が鈍りますから、インフレになる点は理解できます。ただ、現在の日本はデフレです。デフレとはインフレとは逆に、モノ余り、カネ不足の状況です。しかし、日本企業の生産性はOECD諸国の中でもずっと低いと言われています。生産性が低いのにデフレに陥る現象を、僕はいまいちよく理解できていません。経済に詳しい方、どなたか理由を教えてください。

②生産分担によって、先進国が低コストの新興国を見下し、使い倒すだけに終わってはならないでしょう。それは新しい植民地主義に他なりません。先進国の企業は、新興国に対して敬意を払う必要があります。

その一環として、新興国で生まれた技術やニーズを先進国の製品・サービスに反映させる「リバースイノベーション」や、新興国の中で市場を開拓する、とりわけ新興国の貧困層に向けて製品・サービスを届ける「BOP(Bottom of Pyramid)戦略」が重要になると考えます。

③最近の言葉を借りれば、伝統的な産業の肉体労働者には「リスキリング」が求められます。問題なのは、知識労働者になるために必要な高等教育は高価であり、年々その価格が上がっている、ということです。

リスキリングが贅沢品である限り、それに手が届く人とそうでない人との間で格差が拡大してしまいます。政治には、単に高等教育の中身を充実させるだけではなく、安価かつ気軽な手段でリスキリングができる仕組みを整備してほしいものです。

④経済はグローバル規模で統合に向かっていたはずですが、最近は国家間の対立・分裂がその統合にくさびを打ち込んでいる印象を受けます(「経済安全保障」という言葉も生まれました)。

かつては、国家間で対立が起きても、経済的な利害の図式に落とし込むことで、算術的に解決することが可能だとされてきました。ところが、年々経済的な利害の領域は少なくなり、残りは価値、信条、宗教など、対立する双方がどちらも妥協できないものばかりになっています。

複数の国家が同じ目標を持つことがもはや困難になった現代では、対立から共通の目標を導く弁証法的なアプローチではなく、「同床異夢の政治哲学」を確立しなければならないと感じています。

⑤企業の社会的責任をめぐるドラッカーの主張は、僕には混乱しているように見えます。ドラッカーは、顧客以外のステークホルダーのニーズに関しては「満足化」にとどめるべきだとする一方で、中央政府が社会全体の面倒を見る時代が終わった今となっては(ドラッカーは福祉国家に対して非常に批判的です)、企業が公共の利益の代表者となり、ビジョンを示さなければならないとも述べています。

今の企業に必要なのは、社会的ニーズを経済的価値に転換する「CSV(Creating Shared Value)戦略」であるとも言われます。ただ、④とも関連しますが、ステークホルダーのニーズは必ずしも全てが経済的価値に転換可能とは限りません。むしろ、転換不可能な価値の方が多いのかもしれません。

ここでもやはり大切なのは、まずは自社がいかなる価値を重視しているのかを明確に表明すること、さらに、ステークホルダーとたとえ同床異夢になったとしても、お互いの価値を尊重し合う関係を構築することではないかと考えます。

#本の紹介
#ビジネス書
#読書
#読書記録
#本が好き
#本好きな人と繋がりたい
#読書倶楽部
#本スタグラム
#読書男子
#本のある生活
#おすすめ本
#やとろじー
#経営
#ビジネス
#経営コンサルタント
#経営コンサルティング
#コンサルタント
#コンサルティング
#中小企業診断士
#診断士