
《要点》
【第Ⅰ部:政治の現実】
◆1873年のウィーン株式市場の崩壊によって、自由主義、自由放任の時代は終わりを告げた。同様に、1973年も「歴史の峠」であり、「政府による救済」(それが福祉国家によるものであれ、マルクス社会主義やファシズム全体主義によるものであれ)と「利害による政治勢力の結集」が終わりを告げた。
◆多民族国家であるソ連は、21世紀には人口の半分が非ヨーロッパ人になる。その非ヨーロッパ人(つまりアジア人)のさらに半分がイスラム教徒となる。ペレストロイカを掲げるゴルバチョフは、経済発展を通じてロシア帝国維持のための新しい統合の絆を作ろうとしている。しかし、経済発展によって諸民族が豊かになれば、オーストリア=ハンガリー帝国の歴史が示す通り、民族主義運動が激しくなる。ソ連はやがて崩壊する。
【第Ⅱ部:多元社会の到来】
◆多元社会においては、政府も多様な組織の1つにすぎなくなる。政府活動が有効に機能するには、厳しい4つの条件がある。①他に目的達成の方法が存在せず、独占である、②有効性を失った後、目的を達した後は存続してはならない、③いかに賞賛すべきであっても、公共のための特定された成果の達成に集中する、④元々の前提を堅持する、の4つである。いずれの条件から逸脱しても、政府活動は政治化し、直ちに劣化する。
◆政治的に多元化された現代では、単一目的の政治グループが大衆運動を引き起こしている。彼らは少数派であるから、誰かを当選させることはできないが、誰かを落選させることならできる。
大衆運動は社会を麻痺させる。分断が進んだ現代の政治に必要なのはカリスマ的リーダーではない。軍縮や環境問題など、社会的に合意された共通の目的に向けて総力を結集することが可能な、ビジョン、信仰、責任感、意欲、誠実さ、謙虚さのある実務的なリーダーである。
【第Ⅲ部:経済と環境の行方】
◆1985年のプラザ合意後のドル安下においても、アメリカの輸入と対外投資が増加したという経験からは、いくつかの教訓を導くことができる。①原料経済と工業経済は分離した、②生産と雇用も分離し、貿易は投資に従うようになった、③多国籍企業はグローバル企業へと変身した、④シンボル経済が実物経済を支配するようになった、⑤競争的貿易から敵対的貿易へと経済構造が変化した。
⑤の敵対的貿易に対しては、地域主義によって経済ブロックを作り、相互主義によって自由貿易と保護貿易を超越する通商政策を可能としなければならない。
◆これからは、環境問題を外部コストとして扱うことはできない。環境保護を目的とする援助が必要となるとともに、経済活動から自然環境を守る国際法を策定しなければならない。
同時に、人類にとって新しい現実である相互依存的なグローバル経済を守る国際法も求められる。とりわけ戦争に関して、①非戦闘員とその財産を守ることを交戦国の義務とし、②終戦の暁には戦勝国と敗戦国がともに繁栄を回復することがあらゆる国にとって利益となることを明文化しなければならない。
【第Ⅳ部:知識社会】
◆大学生の数が爆発的に増加し、知識が経済活動の基盤として、本当の意味での資本となった。そして、彼らは知識と教育を就職のパスポートとして、ビジネス以外の世界にも進む。知識労働者の増加と脱ビジネス社会の到来が現実である。
一方で、サービス労働者や肉体労働者に関しては、労働組合がその能力と生産性を高め、彼らに何ごとかを達成させることに関心を持たなければならない。同時に、サードセクターとしての非営利組織が、知識労働者とサービス/肉体労働者のギャップを埋め、地域社会に絆を作り、人が市民としての役割を果たす場を作り出す。
◆マネジメントは行動に関わるものであり、知識労働者が組織の成員として成果を上げるためのものである。したがって、体系化された技術である。同時に、人の心、人の本質にかかわるものであり、極めて道徳的なものである。マネジメントは一般教養として教えられなければならない。しかも、学校を卒業した後も継続的に学習されなければならない。
◆情報技術の進展によって、組織や世界は機械的なシステムから生物的なシステムへと変化した。機械的なシステムは分析的である一方、生物的なシステムは知覚的である。我々が本書のような新しい現実を生きるには、デカルトを越えて、論理的な分析と知覚的な認識を均衡させることが不可欠となる。
《感想》
本書が発表されたのは1989年春、ドラッカーが80歳になる手前のことです。本書の射程は政治、経済、軍事、環境問題、社会、教育など広範囲に及びます。1969年に出版された『断絶の時代』と構成が似ており、そちらを読んでから本書を読むと、より理解が進むように思えます(とはいえ、経済学の知識が乏しい僕にとって、第Ⅲ部「経済と環境の行方」は難解でした)。
本書で物議を醸したのは、「ソ連は崩壊する」という「予言」です。ソ連崩壊を予測した人はドラッカー以外にもたくさんいるのですが、その理由をアメリカとの軍拡競争による経済的負担に耐えられなくなるからとするのではなく、ゴルバチョフのペレストロイカによって諸民族が豊かになれば、かつてのオーストリア=ハンガリー帝国のように民族運動が激化するためと主張した点にドラッカーのユニークさがあります。
軍事力が不経済であること、国家が協調して環境問題に取り組まなければならないこと、グローバル経済を守るために戦争の国際的ルールを策定する必要があることなどを説いた箇所からは、ドラッカーの平和主義的な面をうかがい知ることができます(ドラッカーはノーベル平和賞の候補になったこともあります)。
『断絶の時代』にも書かれていましたが、ドラッカーは福祉国家としての政府、いわゆる「大きな政府」は機能しないという立場を貫いています。政府は社会的な政策を立案することはできても、その実行は苦手とするから、実行は民間やNPOに委ねるべきだと説きます(『断絶の時代』では「再民間化」という言葉が使われていました)。
とはいえ、いわゆるリバタリアニズム論者のように、単に「小さな政府」を志向すればよいと言っているわけではない点には注意が必要です。まず国内においては、政府は多元化された組織社会の中心となって、社会全体のビジョンを明示しなければなりません。そして、国際的には、環境問題や軍事管理などのグローバルな課題に取り組む強力なアクターとして振る舞うことが期待されています。政府は、規模は小さくとも、大きな影響力を発揮しなければならないのです。
ドラッカーのこのスタンスに対して、僕からは2つの問題提起をしてみたいと思います。
1つ目は、現代の政府は小さくなっていないのではないか?ということです。現代リベラリズムは、個人の自由を担保するために、政府が積極的に介入することを是とします。本来、自由とは政府の権力「からの」自由を意味したのですが、現代リベラリズムは自由と権力を両立させる道を選びました。自由とは何事にも依存しないことではなく、依存の経路が多数用意されていることだという主張には、うなずける部分もあります。
新型コロナウイルス感染症が猛威を振るった時、政府が国民の生活を維持・保護するべくあらゆる財政出動を行ったのも、現代リベラリズムの表れと言えるでしょう。だとすると、政府は必然的に大きくならざるを得ないのでしょうか?
2つ目は、政府は国内の多元組織や世界の諸国家を束ねる大きな影響力を本当に発揮できるのか?ということです。政府が国内を調和させるビジョンを掲げると、それがナショナリズムの源泉となり、かえって国際的な協調を妨げてしまうように感じることがあります。
アメリカ政府は自国の社会的価値観を大切にしています。中国政府もまた自国の社会的価値観を大切にしています。その両国がグローバル市場で対峙すると、お互いに自国の社会的価値観を守るという観点から経済安全保障を掲げ、それがグローバル企業の活動にとって制約となってしまうのです。政府は本当に大きな影響力を発揮すべきなのでしょうか?
とはいえ、この2つの問題提起を総合すると、「政府は規模が大きくなるのに、影響力を発揮しない方がよい」という不可解な結論に至ってしまいます。果たして、政府はどのような姿が望ましいのでしょうか?
社会契約論によれば、政府を作るのは人民の意思です。その政府のあり方について、我々はもっと関心を寄せる必要がありそうです。我々が数年に1回、選挙で投票するだけにすぎないならば、政府はどうしても遠い存在になってしまいます。意見を述べ、関与することで、政府を少しでも身近な存在へと引き寄せる―それが政治を生きるということの意味なのでしょう。
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