断絶の時代(ブログ用)

《要点》
【第Ⅰ部:企業家の時代】
◆今日(※本書が発表されたのは1969年)の産業のほとんどは、第一次世界大戦以前の半世紀になされた発明・発見の延長線上にある。農業、鉄鋼業、自動車産業は、途上国ではこれからも成長するが、先進国では伸びが鈍化しており、新たな発展の原動力が求められる。

今日再び企業家精神を強調すべき時代に入った。今日必要とされているものは、過去半世紀に培ったマネジメント能力の基盤の上に、企業家精神の新たな構造を作る能力である。情報産業、海洋開発、素材産業、都市開発などが候補となる。これらは知識を基盤としたイノベーションによってもたらされ、大量の知識労働者を必要とする。

◆企業には、①技術のダイナミクスを理解して技術戦略を立案すること(技術の外部調達も視野に入れる)、②顧客のダイナミクスを理解すること、③イノベーションのための組織を確立すること(イノベーションの組織を既存事業から分離する)が要求される。

また、政府としては、①人と資金の移動を自由にすること、②中小企業が新技術の担い手となれるようにすること(大企業の内部留保を優遇する二重課税を是正する)、③グローバル経済を経済政策の中心に置くこと(イギリスは伝統的な国内産業を中心に置いて失速した)が重要である。

【第Ⅱ部:グローバル経済の時代】
◆今や、全世界が共通の需要曲線、共通の経済的価値観を持つ。全世界が欲求、反応、行動に関して1つの経済圏となった。グローバル経済においては、基軸通貨制度ではなく、政治権力から独立したグローバル通貨を確立しなければならない。

また、グローバル企業(一昔前のような、単に海外販売子会社を持つ企業ではなく、グローバル規模でマーケティングとマネジメントを行う企業)が、各国の国家主権と文化を尊重する純経済的なコミュニティをもたらす唯一の機関となる。

◆かつての経済学はインフレでもデフレでもなく、失業も労働力不足もなく、資本の過不足もない「完全均衡」の状態から一定の振幅を持って振れることを前提とし、技術や知識を射程外としていた。

しかし、これからの経済学は、経済発展を目標の1つとしなければならない。経済政策の目的は、資源の配分ではなく、富を生み出す能力の変化としなければならない。そのためには、技術や知識が経済に及ぼす影響(あるいはその逆)を経済学の中に取り込むことが不可欠である。ミクロ経済、マクロ経済、グローバル経済を1つに統合する新たな経済学の誕生が待たれる。

【第Ⅲ部:組織社会の時代】
◆今日の社会は無数の組織からなる多元社会である。まずは、それぞれの組織が機能(①目的を明らかにする、②目的のためにマネジメントする、③そこに働く人を活かす)を果たさなければならない。組織がその目的に集中することが正統性のカギであり、成果を上げることが組織とそのマネジメントの力の基盤となる。

組織は社会に何らかの影響を及ぼし得るのであり、それを事前に予防・緩和することが社会的責任となる。同時に、社会的ニーズを事業機会としなければならない。ただし、自らの強みでない領域に手を出すことは、かえって無責任となる。

◆数ある組織のうち、政府への幻滅こそ今日の最も深刻な断絶である。最大の幻滅は福祉国家の失敗であった。とはいえ、今日のこの危険な時代ほど、強力で成果を上げることのできる政府が必要とされている時はない。我々は組織社会における中核の組織として政府を必要とする。

政府を再生するには、①政策の目的を明示させ、成果と検証させること、②実行を再民間化し、統治に専念すること、③政府が社会の目的を決定し、多様な組織の指揮者となることがその処方箋となる。

【第Ⅳ部:知識の時代】
◆知識社会と知識経済へ移行したのは、仕事が複雑化し高度化したからではなく、労働寿命が伸びたからである。その結果、学校教育が伸び、知識労働の仕事を作り出さなければならなくなった。

教育の革命は待ったなしである。①大人を何度も学校へと帰らせる継続学習を当然のものとし、②行動科学と認知科学の統合によって教育の生産性を上げ、③専門分野の垣根を超えた学際研究を推進しなければならない。

◆仕事の基盤が知識へ移行したことが、知識に関わる者に新たな責任を課す。まず、政府は、①政府が知識の習得に必要とされる金をまかなうことで、政府による教育統制と思想統制の危険性が出てこないか?②知識の探究にあたっての優先順位はどうあるべきか?③そもそも知識そのものが必要か望ましいか?といった問いに答えるべくリーダーシップを発揮することが求められる。

知識ある者にも責任が要求される。高度な倫理基準が求められる。さらに、教育者は教育の成果に責任を持たなければならない。また、学生に対しても、その数と、特権と、力がもたらす倫理的な責任については社会が要求しなければならない。

《感想》
本書は1969年に出版されたものです。1969年の日本と言えば、高度経済成長期の最後にあたります。当時の日本は重厚長大産業を中心として成長を遂げ、輸出によって国際市場に参加したところでした。政府・行政が経済を牽引し(いわゆる護送船団方式)、競争力の源泉は設備投資と安価な労働力にあるとされていました。

ところが、その時代にドラッカーは早くも、イノベーションによる新産業創出が重要だと言い、従来の国際経済とは異なるグローバル経済の統一性がグローバル通貨とグローバル企業を必要とすると主張しました。また、政府の限界を指摘するとともに、政府に対して新しい役割を期待しました。そして、産業の基盤が知識に移行したことを見抜いたのです。

ドラッカーの未来予測力には遠く及びませんが、本書が発表されてから55年経った今、ドラッカーが述べた4つの時代の「次に来る時代」を僕なりに予想してみたいと思います。

【Ⅰ.企業の意思VS顧客の意思の時代】
かつては顧客側に「これがほしい」という意思があり、それをマーケティングによって充足していました。ところが、顧客の主要なニーズがほとんど満たされてしまった現代では、顧客のニーズを新たに創造するイノベーションが重要だとされます。

言い換えれば、顧客の側には意思がなく、「あなた方にはこういう新しい消費行動、ライフスタイル、嗜好が望ましい」という企業の意思を顧客が受け入れている状態です。

しかし、顧客は再び意思を持つようになると僕は考えます。というのも、混迷の時代において、「私は何者なのか?」というアイデンティティに関わる問いについて深く考える機会が増えており、それが顧客に意思をもたらすからです。すると、顧客の意思と企業の意思が衝突するようになるでしょう。

【Ⅱ.グローバル化VSローカル化の時代】
ドラッカーは、「全世界が共通の需要曲線、共通の経済的価値観を持つ。全世界が欲求、反応、行動に関して1つの経済圏となった」と述べて、グローバル経済の統一的な特徴を指摘しました。しかし、現実の世界では、ローカル文化の存在を無視することはできません。

グローバル化が標準化・普遍化を目指すものだとすれば、ローカル化は個別化を目指すものです。グローバル化が統一された基準やルールの中に世界の多様性を収斂させようとするのに対して、ローカル化は自らに固有の価値観、規範、文化を守ろうと抵抗します。グローバリゼーションが進むほど、ローカリゼーションは物理学で言うところの反作用を見せるのです。

【Ⅲ.民主主義VS集権の時代】
最近のアメリカのイノベーションは、民主主義的なサービスが特徴です。例えば、Amazonでは誰もが自由に出品することができ、その検索結果はユーザの膨大なレビューによって影響を受けています。Facebookはユーザに対して自由な言論空間を提供しています。

ところが、こうしたプラットフォームは、一見すると民主主義的であるようで、実際には非常に集権的な権力を持っています。規約に違反したアカウントは容易に停止されます。そして、一度プラットフォームから追放されると、プラットフォームに復帰するのは困難であることもしばしばです。

民主主義的な政治体制では、たとえ法律を犯したとしても、国家から追放されることはまずありません(死刑制度などを除いて)。一方、民主主義的なプラットフォームは集権的に運営されるというのが、現代のパラドクスの1つなのです。

【Ⅳ.知識VS感性の時代】
AI(人工知能)VS人間と言い換えてもよいでしょう。ドラッカーは「知識は公的な財である」と言いましたが、AIによっていよいよ知識は誰もがタダ同然で手に入れることが可能となりました。知識労働者は、自らの生産要素を切り崩されています。

AIにできない人間ならではの価値とは、クリエイティビティ、共感力、感性などであると言われます。いずれも未来に向けた姿勢であり、過去のことしか学習していないAIは苦手だと説明されます。

とはいえ、新しいアイデアとは結局のところ、過去のアイデアの組み合わせによって生まれるものです。よって、過去の情報を膨大に学習しているAIに、人間はこれからますます脅かされ続けるに違いありません。

以上の通り、僕は4つの時代を「対立」構造で描きましたが、僕は決して争いを煽りたいわけではありません。我々に求められるのは二項対立を「調和」させる発想だと考えます。それが経済と社会の進化・深化をもたらすものと信じています。

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