
著者のプラニク・ヨゲンドラ氏(通称よぎさん)は、インドの大学で日本語とITを学んで1997年に日本に留学しました。インドの日系企業に勤めた後、2001年にIT技術者として来日し、みずほ銀行や楽天銀行で勤務した経験をお持ちの方です。
2012年に日本国籍を取得し、2019年には東京・江戸川区で日本初のアジア出身者による地方議員となりました。2022年4月からは茨城県立土浦第一高等学校・附属中学校副校長となり、2023年4月には同校の校長に就任しています。他にも、全日本インド人協会会長を務め、都内で飲食店や文化センターを自営するなど、精力的に活動をされています。
本書はそんなよぎさんが自らの半生をつづった1冊です。よぎさんから見た日本の「おかしな部分」をまとめてみました。
◆(※日本に留学した際に)授業参観もした。そのときにびっくりしたのは、後ろの席で寝ている子や授業に興味がなくて参加しない子、先生をからかっている子がいたことだ。髪の毛を染めている子もいて、私はショックを受けた。インドの学校ではどれもとうてい許されないことだ(p93)。
◆日本人は働きバチだというイメージが私にはあったが、わが社の駐在員はちょっと違った。あまり仕事も指導もしないけれど、インド人部下が間違ったときは前のめりになってガンガン怒る。そして、もともと1週間かかる作業を4日で完成するよう指示をして、インド人部下がそれをできないと、「君たちは約束を守らないね?インド人は約束という言葉を知らないね」と嫌味を言う(p103)。
◆業界にもよるが、日本人は特定の分野のプロフェッショナルでないことが多い。会社に入ると、数年おきに部署をくるくる回っていろいろな業務の経験を重ねていく。つまりある会社のITの担当者がITの専門家だとは限らず、たまたまIT担当になっただけかもしれないのだ。すると基本的な知識はあっても高度な応用力に欠け、それが必要な場面では自ら要件を語れない。
(中略)結局、こちらが納品したものが彼らの希望に沿ったものでないと、「外資系のIT会社はだめ」という評価になってしまう(p151)。
◆日本人の場合、たとえば、ある事柄をやるか、やらないかを決めるまでに時間をかける。その次に、何をやるかに時間をかけがちだ。やっと決まって実際のモノ作りや外注になると、制作して納品する時間がすでに減っている。そして開発が始まってからもまた要件が増える。結果、作業する側は残業時間が増えたり、徹夜したりすることになる(p153)。
◆今までの日本を考えてみると、日本は目に見えるもの(機械、車、家電など)には強い。でも目に見えないもの(ソフトウェア、グローバルマネジメントなど)については弱い。また、独占的な分野ならリードをしているけれど、競争相手が出てくると迷い込んでしまう(p158)。
◆実はその裏に、もう一つの問題が潜んでいる。それは、ユーザーつまりお客さんの声に耳を傾けなくなっていること。お客さんが何を望んでいるのか、よく聞かないこと。年中たくさんのクレームが入っているだろうけれど、そのデータを分析し、それを効果的な製品化や事業計画につなげていないように見受けられる(p158)。
◆日本人は、最初は不満があっても我慢する傾向がある。何か嫌なことが起きてもすぐに「困っている」とは口にしない。相手が外国人だと躊躇する人も多い。言葉の壁もある。公団には外国語ができる日本人が少なく、外国人とコミュニケーションを直にとれない。だから話すことのないうちに、自分のなかに不満がどんどんたまり、ある日爆発してしまう。そしていきなり差別的な発言や行為につながってしまう(p165)。
◆外国人が日本人に少しでもぶつかったりすると、補償問題に発展することが少なくない。日本人が警察を呼んだり、保険会社を呼んだりするためだ。とくにアジア系の外国人はこのようなことに困惑する。インドでは道でぶつかっても、大けがや命の危険などがなければ保険会社も警察も呼ばない。互いに話して、事故の目撃者がその場で審判を下して終わり。いちいち警察や保険会社を呼ぶのは日本独特なのだ(p166)。
◆私が(※政治家として)ずっと訴えてきたことがある。それは、課題の二次元および三次元データ分析だ。日本の役所はケースバイケースが好きだ。日本政府、法務省や外務省なども同じ。何千人、何万人が署名した陳情書よりも、誰か一人が「こうした問題があります」と訴えて、すぐに解決できることであれば具体的に動いてくれる傾向がある。一般に役に立つ「マス」(mass)的な問題は、話が大きすぎるということで手を出そうとしない(p249)。
インドは多文化から構成される国家であるため、よぎさんは幼い頃から多文化共生には抵抗がありません。それと比べると、ようやく外国人労働者を受け入れ始めた日本は多文化共生という面で大きく遅れています。よぎさんは本書の終盤でそのことを大きく憂いています。
日本で多様な価値観の共存を阻んでいる要因の1つは、「努力すれば必ず報われる」という日本の伝統的な精神論ではないか?と僕は考えています。「努力すれば必ず報われる」とは、達成したい目的や結果が明確で、その目的や結果と因果関係のある実現手段を合理的に導くことができるという前提に立っており、あとはその手段を粛々と遂行すればよいという考え方です。
このような単線的なマインドは、環境が目まぐるしく変化する複雑な時代には機能不全に陥ります。到達すべきゴールや到達のルートを柔軟に設計しなければならないのに、過去の成功体験にこだわり、異質な考え方が入ってくるのを排除してしまうからです。
しばしば、高学歴の人やスポーツの世界を極めた人は、起業家としては成功しにくいと言われます。彼らは「努力すれば必ず報われる」という世界に生きてきました。彼らには「試験に合格する」、「試合で勝つ」という明確なゴールがあります。そして、それを達成するための練習メニューも体系化されています。こういう世界に慣れてしまうと、ビジネスのような曖昧な環境において、多様性を吸収しながら適応することが難しくなるというわけです。
先日、あるスポーツ選手のインタビューを見ていたら、「自分は『運』という言葉が大嫌いだ」と話していました。練習は嘘をつかないというのがその選手のポリシーであるようです。こういうタイプの人は、多文化社会の中では生きづらくなるだろうと感じました。見通しの立ちにくい多文化社会では、努力しても上手く行かないこともあるし、逆に努力以上に上手く行くこともあるでしょう。そこには明白に「運」が作用しています。
だとすれば、多文化共生を目指して我々にできることとは、「運を味方につけること」ではないでしょうか?そのためには、以下の3つを実践することが重要だと考えます。
【①まずはやってみる】現代は豊かな時代ですので、手段は山のようにあふれています。たとえ目指すべき地点があまりよく見えていなくても、まずは手持ちの手段の中から1つ2つを選んで、やってみることが大切です。目的が不透明なのですから、目的と手段の間の論理的整合性を考える必要はありません。それでも、何か行動を起こしたことで周りからフィードバックがあり、それが次のアクションのヒントになることがあります。
【②いきなり大きな成果を目指さない】最初から大きな成果を目指すと、その実現手段を慎重かつ論理的に考えなければならないという心理が働きます。そして、この不透明な時代には、検討した手段が本当に望み通りの成果をもたらしてくれるのかと懐疑的になりやすいものです。すると、そのプランを実行するにはリスクが大きいと評価され、結局身動きが取れなくなります。もっと気楽に構えるべきです。小さな成果が積み重なって、「結果的に」大きな成果になればいいのです。
【③一貫性にこだわらない】目的と手段の間の一貫性にこだわると、予期せぬ異分子が入り込む余地がなくなってしまいます。一貫性のある人は信頼できると言われますが、その一貫性ゆえに何も成果を出せないのであれば、結局は信頼を失います。朝令暮改もいとわないぐらい、節操なく融通無碍に自らの言動を変えていけばよいのです。
日本経済はこの30年間ほとんど成長していません。「努力すれば必ず報われる」という価値観が支配的だったこの30年間、努力は報われていないのです。日本人の価値観を転換することが、多文化共生社会の実現につながり、さらには日本の経済・社会を量と質の両面から充実させることでしょう。
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