◆運について研究している科学者にとって、
◆幸運には4つのタイプがある。
①タイプ1:純粋に偶然のなせるわざ。
②タイプ2:偶然に「行動」を加えてかき混ぜる。行動を起こせば起こすほど、様々なアイデアが新たな形でまとまり、全く新しい、よりよい結果が生じる(ケタリングの法則)。
③タイプ3:懸命に頑張るからこそ、心が「準備」を整え、偶然や不合理な宇宙が何を投げかけてこようとも、そこに意味やパターンを見出せるようになる(ルイ・パスツールの言葉によく表れている)。
④タイプ4:「行動」と「準備」にその人独自の「個性」を組み込んだもの。
◆人間の脳には、「行為者の検出」を行うツールが生まれながらにして備わっている。何か目的があり、その目的に向かって動いていそうなパターンを周囲に認識すると、そのパターンを生み出している行為者を探し始める(「これは誰々のせいだ」)。明白な行為者がいない時、つまりある出来事の原因が解らなかったり、説明がつかなかったりすると、神々の仕業だと思うようになる。ここに宗教が生まれる。
◆ある出来事が起きた時、人がその原因を何に求めるかを研究するのが「帰属理論」である。物事が起こった原因として、何の説明も思いつかない時、我々はそれを「運のなせるわざ」だと言う。心理学の研究によると、我々は確率の把握が苦手であるため、確率論的には説明がつくことでも、過剰に幸運/不運だと思うことがある。
◆「運がいい」とか「運が悪い」というのは、「反実仮想」の方向性と近接性によって判断される。反実仮想の上方比較は、「実際よりいいことが起こったところ」を想像し、実際の自分は不運だと思うものである。逆に、反実仮想の下方比較は、「もっと悪い結果になっていたかもしれない」と想像し、実際の自分は幸運だと思うものである。
近接の反実仮想とは、いわばニアミスである。例えば、突っ込んできた車が自分のほんの数センチ手前で急ブレーキをかけて止まった時、幸運だと思うだろう。逆に、遠隔の反実仮想とは、1つの数字も当選番号と一致しなかったロトくじのようなもので、この場合はそれほど不運だと思わないだろう。
◆現代でも、不合理だと解っていながら迷信や呪術的思考が行われている。ただ、迷信を信じると、緊張が和らぎ、状況をコントロールできるという幻想を持てるようになる。すると、周囲の混沌とした予想のつかない世界が、それほど不安に思えなくなる。
迷信を実行に移せば、自己効力感が高まり、よりいっそう懸命に課題に取り組み、より長く努力を続ける。さらに、楽観主義や希望といった感覚が生じ、どんな課題に取り組んでいても、パフォーマンスが向上する。
◆運がいい人は悪い人と比べると、まさにいいタイミングでふさわしい場所にいて、独自の能力を発揮することができる。つまり、「運がいい」とは、集中力が高い能力のおかげだと言えるのかもしれない。集中力が高い人の脳波を調べると、何かに注意を払っている時に発せられるベータ波の方が、リラックスした状態の時に発せられるシータ波よりも多く見られる(逆に、ADHDの患者では、シータ波の方が多くみられる)。
不安感が強い人(特性不安と言う)はそうでない人と比べて、背外側前頭前野の活動が極めて弱く、気が散りやすいことも解っている。
◆ミラーニューロンは、他者が次に何をするかを予測する、または他者の行為の目的を予測することで、他者の行為を理解する一助になっているという説がある。ミラーニューロンが活性化すれば、今後の計画を立てるだけでなく、計画のエラーを評価し、必要に応じてエラーを修正する新たな計画を思いつくことができる。注意を払い、周囲の世界に対応するスキルを身につけると、我々はもっと運に恵まれるかもしれない。
◆運がいい人には、以下の4つの特徴がある。
①日常生活でチャンスを作り出し、チャンスに気づき(
②直観や本能を信じて、本能に従って行動する。
③「自分は成功するし、目標を達成する」と思っている。
④不運に見舞われると―望まないことや恐ろしいことが起きると―
《感想》
前回の記事「経営理念の源泉となる原体験が僕は弱い」では、「新しい日本的経営」について詳しく書くことができませんでした。
「新しい日本的経営」とは、明確な経営理念や圧倒的な強みがない企業であっても、合理的な計画や長期ロードマップばかりに頼らずに、ありものの手段や能力を活用しつつ、人と人との相互作用の中から生まれる偶然を最大限にレバレッジして、経営に関わるステークホルダーに幸福をもたらすような経営です。端的に言えば、「運と縁を中心として生き残る経営」です(以前の記事「中野信子『新版 科学がつきとめた「運のいい人」』―「運のいい人」があるなら「運のいい企業」もある?」を参照)。
企業や組織が運を味方につけるヒントはないものかと思って本書を読みました。《要点》にもあるように、運とは我々が原因と結果の因果関係を十分に説明できない時の残渣のようなものですから、その運を論理的に説明するのは非常に難しいことです。本書では、心理学の様々な実験や脳科学の広範な歴史に触れられていますが、どこかまとまりがないという印象を拭い去ることができませんでした。
本書に対する疑問・反論を3つ挙げたいと思います。第一に、著者は「集中力が高い人は運がよい」と述べています。しかし、ここで言う「集中力」には解釈の余地があります。運をよくするには、1つの物事に注力するような集中力ではなく、様々な物事に自分の注意を向けられるという意味での集中力の方が重要だと感じます。なぜなら、後者の方が何か面白いこと、予想外のよい出来事を拾い上げられる可能性が高まるからです。
僕と妻を比較してみると、1点集中型の集中力なら僕の方が上です。毎朝同じメニューの洋朝食を摂り、同じルートを散歩し、仕事を可能な限りルーチン化し、読書を習慣としています。
一方の妻は、時には和食が食べたいとか、朝も外食したいとか言うし、近所を一緒に歩いていてもすぐに違う道へと僕を引き込むし、仕事はあれもこれもと手を出し、興味の対象もコロコロと変わります。それでも、運のよさを自己評価すると、妻の方が上です。そして、僕から見ても、妻の方が本当に運がよさそうに見えます(こう言うと妻はちょっと不機嫌になるのですが、苦笑)。ひょっとしたら、注意力は多少散漫な方が運がよくなるのかもしれません。
第二に、著者は「不確実性が高い状況では、自己コントロール感を取り戻すと運がよくなる」と主張します。自己コントロール感を取り戻すには、お守りや迷信的な儀式であってもよいと言います。これもまた解釈が必要な部分です。
自己コントロール感と運のよさは完全に相関するのではなく、逆U字型を描くと考えられます。つまり、完全に自己コントロールが及ぶ場合には、運が低下するのです。例えば、もし経営者が全社員を自分の意のままに動かせるとしたら、そこに運が入り込む余地はありません。社員がある程度思い通りに動かないことがあるからこそ、想定外の結果が舞い込んでくる、つまり運が味方をするのです。
連続して起業に成功する「熟達した起業家」の行動特性は「エフェクチュエーション」としてまとめられています。そして、エフェクチュエーションの5つの原則の中に、「飛行機の中のパイロットの原則」というものがあります。これは、不確実性が高い世界においては、起業家は全てをコントロールしようとせず、パイロットがコックピット内の各種計測器のみに集中するように、手の届く範囲のことを制御しようとする傾向を指しています。逆に言えば、半分ぐらいはコントロールを放棄するぐらいの方が運を呼び込めると言えそうです。
第3に、著者は脳の「実行機能」が強い方が運がよくなるという研究結果を紹介しています。実行機能とは、周囲の世界に対してどんな行動をとるかを導き、計画を立て、目標を達成するために行動を柔軟に調整する機能を指します。前頭葉と眼窩前頭皮質に損傷を負った患者は、遂行機能障害症候群に苦しむと言います。
「遂行機能障害症候群の患者は、目標を達成しようとする際に、無関係な物事を無視できない。その結果、意思決定がきわめて困難になる。彼らはまた『目標を達成するために有効だから』という理由ではなく、『たまたまそこにあったから』という理由で物事を選んで利用しがちであり、そうするしかないと思い込みやすい。
さまざまな可能性が満ちている世界で課題をこなす必要がある場合、眼窩前頭皮質に損傷を負う患者は、途中で寄り道して無益なものをいじって遊びたいという衝動を抑えられなくなる。彼らはまた、周囲の人がなにをしているにせよ、その人のふるまいを真似したいという衝動を抑えるのが苦手だ」(p231)
僕は、運がいい人たちと言われると『水曜どうでしょう』のあの4人を真っ先に思い浮かべるのですが、彼らはこの引用文に書かれている遂行機能障害症候群の特徴を「全部満たしている」ように感じます。旅先であちこちに寄り道しては無関係なものに気を取られ、ガイドの振る舞いに翻弄されます。それなのに、きちんと企画された旅番組より何十倍も面白いのです。だから、実行機能の強さと運のよさは関係がないというのが僕の見立てです。
そもそも、「運がよい」、「運が悪い」とはどういうことなのか、僕なりに整理してみたいと思います。下図は、縦軸に「得られる結果の大きさ」、横軸に「結果を説明する因果関係(法則)の強さ」をとった概略図です。
因果関係を50%ぐらいの確率で説明できるなら、50ぐらいの結果が得られるのは確率論的に必然です。因果関係が全く説明できない(=完全に不確実である)場合、結果が全く得られないのも必然ですし、逆に、100%因果関係が説明できる場合、100の結果が得られるのも必然です。よって、グレーの斜め線は「必然の世界」を表しています。
この「必然の世界」よりも上の世界は、因果関係を説明する確率から期待される成果の大きさよりも大きな成果を得られるわけですから、「幸運の世界」です。一方、下の世界は、因果関係を説明する確率から期待される成果の大きさよりも小さな成果しか得られないので、「不運の世界」となります。
ここでようやく経営の話に入るのですが、経営では業績(売上高、利益、株価など)を100%説明できる因果関係というものは未だ見つかっていません。いや、今後も見つかることはないでしょう。事業環境は常に変化しており、不確実性に満ちているからです。とはいえ、「こうすれば業績が上がるはずだ」という経営の原理原則は、感覚的に30~40%ぐらい解っています。その原理原則に従えば、30~40の業績は得られるでしょう。
しかし、企業は業績を拡大し続けなければなりません。そのために考えられる方法は2つです。1つは、経営の原理原則の精度を上げることです。そのために企業は経営学者やコンサルタントの力を借りたり、独自に研究を重ねたりします。楠木建氏の『ストーリーとしての競争戦略』に従って、戦略の一貫性を高めるのも1つです。その結果、因果関係の強さが50~60%ぐらいに高まれば、業績も50~60へと向上するでしょう。僕が言う「伝統的経営」や「アメリカ型イノベーション」はこれに該当します。
翻って、中小企業・小規模事業者を見てみると、経営学者やコンサルタントの力を借りたり、独自に研究を重ねたりすることはなかなかできません。大企業の研究結果がまとまるのを待ってそれを中小企業・小規模事業者に適用するという道もあり得ますが、それだとタイムラグが生じ、いつまで経っても大企業より劣位に置かれてしまいます。だから、幸運の力を借りて業績を上げようというのが「新しい日本的経営」なのです。
企業が運を味方につける方法としては、ジョン・D・クランボルツの「計画的偶発性理論」がヒントになります。計画的偶発性理論は、ビジネスパーソンが運を味方につけ、幸せなキャリアを構築するための行動特性をまとめたものですが、企業にとっても参考になるところが大いにあります。
クランボルツは、幸運なキャリアを歩んでいる人に共通して見られる特徴として、①好奇心、②楽観性、③冒険心、④柔軟性、⑤持続性の5つを挙げました。これを経営で実践するとどうなるのか、つまり「新しい日本的経営」とはどのようなものなのかを、「伝統的経営」との比較でまとめたのが下図です。
とはいえ、「新しい”日本的”経営」と自分で名づけておきながら、アメリカの理論をそのまま拝借するのも癪ですから、僕なりに⑥社交性、⑦直観性という2つの要素をつけ加えてみました。クランボルツの5つの要素は、その気になれば個人が単独でも実践可能です。しかし、1人でやるよりも、やはり誰かと一緒に新しいことに興味を持ってリスクテイキングした方が偶発性が高まります。そこで、まずは⑥社交性という要素を入れました。
これは、やみくもに人脈の数を増やせばよいという意味ではありません。ほどよく多様性が保たれた、質の高い人脈を構築できれば十分です。僕が「新しい日本的経営」のヒントにした『水曜どうでしょう』の4人は、番組内では必ずしも人脈が広いとは言えません(むしろ4人の絆が強すぎるくらいです)。時々、奇妙なガイドが入ってくるのに、彼らを(最初は困惑しながらも結局は)すんなり受け入れているという点で、社交性が高いのです。
「伝統的経営」や「アメリカ型イノベーション」が左脳の論理を重視するのに対し、「新しい日本的経営」は直観や身体知を重視します。よって、⑦直観性という要素も入れました。本書には書かれていませんが、脳の研究によると、外界からの刺激に対して0.1~0.2秒で感情を司る脳の部位(右脳)が働いてイメージが湧くそうです。それに対して、理屈を司る脳(左脳)は、0.4秒経った後に思考が働き出すと言います。
「伝統的経営」の典型であるピーター・ドラッカーは『経営者の条件』の中で、意思決定は少ない方がよいと述べました。現場の諸問題にいちいち条件反射で応じるのではなく、それらを大きな問題として一般化し、慎重に検討した上で「決断」を下すべきだというのがドラッカーの主張です。一方、「新しい日本的経営」の場合は、現場であれこれ起きる問題に対して、とにかく直観で小さな「判断」を重ねて動き回ることで、運を呼び寄せることができるのではないかと僕は考えます。
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