ライプニッツ(ブログ用)

《要点》
◆ライプニッツはあらゆる学問において天才であり、さらに主著というものがないのだが、彼の哲学思想として有名なものは①モナドの思想、②予定調和説、③最善説(オプティミズム)の3つである。

「モナド」とは分割できない実体のことで、イメージとしては「細胞」に近い。ただ、生物だけがモナドを有するのではなく、ライプニッツは無機物にもモナドを認めた。それらのモナドは相互に影響を及ぼし合わないという前提がある一方で、それぞれのモナドに起きることがお互いに対応している。影響し合わないで対応しているとすると、あらかじめプログラムされていて対応していると考えるしかない。だから、「予定」調和である。

「最善説」とは、この世は神が造ることできた世界の中で最善のものであるという説である。神は全能なのに、戦争も病気もない世界よりも、この世界、愚かな戦争とテロの止むことのないこの世界が最善と考えて造ったというのである(最善説は、ライプニッツの見解の中でも一番評判が悪い)。

◆モナドは動物だけでなく、植物や無機物にも認められる。モナドの基本的作用は「表象」(=知覚)と「欲求」(=「お金が欲しい」のような通常の意味合いではなく、表象が変化しようとする力のこと)である。デカルトは人間が目覚めている間の「思考」のみを精神の基本的作用としたが、ライプニッツはたとえ気絶している間であっても「微小表象」が生じていると考えた。

ライプニッツによれば、夢想と現実は二項対立ではなく、1つの同じ世界の事象の流れの中で、夢を見たり目覚めたりしている。そして、夢を見たり気絶したりしている間には我を忘れているが、目覚めている時には自分を取り戻す必要がある。それは、「目的を考えろ」という格率に従う、あるいは「お前がやっていることを考えろ」という格率に従うことである。

◆2つのものがある場合には、その2つの間には必ず差異・区別があるというのが「区別不可能=同一の原理」である(一般には「不可識別者同一の原理」と言われるが、解りにくいので著者はこう呼び変えている)。無差別が存在しないということから、全てのモナドが唯一の個体性を持つことが導き出される。

時間や空間といった「外的規定」においてのみ異なる2つの事物はない。例えば、右手に持った木の葉と左手に持った木の葉がいかに似ていようとも、場所が異なるだけで、それ以外の点は全て同じであるという木の葉は存在しない。位置が異なれば、「内的性質」も異なる。モナドが唯一の個体である理由は必ず内的性質に由来しているが、それは外部と独立しているのではなく、連動している。

◆モナドには窓がない。モナドは独立し、完結し、自走する存在である。しかし、「区別不可能=同一の原理」は、モナド相互の絆を前提としている。例えば、ヨーロッパにいる妻が亡くなった場合、インドにいる夫は男やもめになるが、その際、彼には「実在的変化」が生じる。

普通に考えれば、「男やもめ」は関係(外的規定)であるから、夫が男やもめになったところで内的性質には変化がなさそうである。ヨーロッパで妻が亡くなる時、インドにいる夫の身に不審なことが起きるわけではない。ところが、ライプニッツはそう考えない。外的関係は、その事物の内的性質に影響を及ぼさないのではなく、その逆である。

関係が成立するのに、直接的・物理的関係は必要ではない。「ヨーロッパで妻が亡くなった。『その限りで』、インドの夫は男やもめである」といった具合に、「その限りで」という接続詞の上での結びつきは考えられる。言葉がシンボルとしての機能を持つ場合には、類似性や時間的・空間的な近接に拘束されることなく、全てのものを結びつけることが可能となる。この意味で、モナドには実在的な絆がある。

◆モナドの中には無限なる宇宙が渾然と与えられており、そしてその宇宙が地平として存在する。内側と外側の間の境界に穴を穿つことによってではなく、内部が外部を表現し、表現することで外部を内部に取り込んでいる構造が見られる。逆説的だが、モナドの無窓性を徹底することで、モナドは他のモナドと絆を保つことができるようになる。

ライプニッツは「自覚」、つまり反省や意識の自己関係性を初めて哲学の世界にもたらした。「自覚」には、<自分>で<自分>を考えるという自己関係だけでなく、他者を背景として<自分>が現れるための地平が必要である。<自分>の中にある「微小表象」がぼんやりとした暗闇にしか見えなくても、そういった暗い領野を背景・地平としながら、そこに浮かび上がってくる際立った領野が自覚、つまり<自分>ということである。

◆<自分>の唯一性とは、ライプニッツの言い方を使うと「反対が可能」であり、それ以外の候補が多数あるにもかかわらず、そして常に複数の選択肢を提供され、唯一の選択肢しか進めないことである。「反対が可能」とは「偶然性」のことである。ライプニッツは偶然性が人間の意思の自由の前提となり、そして同時に神以外の被造物が背負わなければならないものだと考えた。

人間の行為に限定すると、ある行為をするか?と、それをいつ・どこでする?という最低2つの面で選択の余地がある。Aという行為ではなく、Bという行為でもよい場合には、偶然性がある。また、<今・ここ>でするということも、今でなくても、ここでなくてもよいという偶然性を備えている。BではなくAという行為を選択し、他ならぬ<今・ここ>を選択する理由があるならば、<自分>は唯一性を有する。

<自分>が唯一であるとは、唯一であることについて考えている限りにおいてである。「なぜ私は世界に一人しかいないのか?」と問う時、この<自分>は世界に埋没して存在するのではなく、唯一性を反省する限りで、その唯一性が意味を持つような存在者としてある。

《感想》
ライプニッツの思想に従って、「なぜ私は世界に一人しかいないのか?」、「なぜ<自分>には唯一性があるのか?」という問いへの答えを試みようとした1冊です。著者はこの問いには決して明確な答えがあるわけではなく、「問い」というよりも「謎」だとしています。「<自分>とは謎である」が本書のモチーフになっています。

「なぜ私は世界に一人しかいないのか?」という問いに対して、ライプニッツはモナドという概念を持ち出します。<自分>という有限なモナドの中に無限なる宇宙が与えられていると言われると、部分が全体を包摂しており、全てのモナドは同一(無差別)となるのではないか?という気がしてしまいます。しかし、僕なりに理解したところによれば、モナドは2つの意味で唯一性を有します。

<自分>というモナドは、いかなる行為を、いつ・どこで行うかを意思決定することができます。その意思決定の仕方には無数のバリエーションがあり、自分と他者とで意思決定が重複する可能性は限りなく低いでしょう。意思決定の違いがモナドの内的性質に違いをもたらし、自分と他者を区別する要因となります。これは閉じたモナドに限定した話です。

しかし同時にライプニッツは、モナドには他のモナドとの実在的な絆があるとも述べています。つまり、他者と自分との関係を言葉で記述することができる限りにおいて、他者に起きた変化が自分の内的性質にも変化をもたらすというわけです。他者との関係にもまた無数のバリエーションがありますから、<自分>というモナドとそれ以外のモナドを区別することができるようになります。

要するに、<自分>自身の自由意思と他者との関係性が唯一性の源泉となるわけです。ライプニッツはモナドという概念を用いて複雑かつ緻密に論じていますが、<自分>が唯一であることの要因としてこの2点を挙げることは、我々の通常の感覚にも適っていると感じます。

(ここで、仮に双子が全く同じ意思決定を下し続け、全く同じ他者と関係性を規定することができるとしても、あるいは全体主義国家において、永遠の国家を信じる指導者が国民全員に全く同じ思想教育をしたとしても、その双子あるいは国民はそれぞれ唯一性を有するのか?という思考実験をすることは価値があると思うのですが、僕にはすぐに答えられなさそうなので止めておきます)

以上は、「なぜ私は世界に一人しかいないのか?」という問いに対して、事実の面から説明したものです。では、さらに論を進めて、「なぜ私は世界に一人『である必要があるのか』?」、「なぜ<自分>は唯一性を有している『必要があるのか』?」と、その理由について掘り下げてみたらどうでしょうか?端的に言えば、なぜ私とあなたは違っていなければならないのか?ということです。

僕は、「私が選ばれるため」だと思います。何のために選ばれる必要があるのか?と言われれば、「生き残るため」です。企業や組織が他者ではなく私を選び、友人が他者ではなく私を選び、生涯のパートナーが他者ではなく私を選ぶには、私と他者の間に差異・区別がなければなりません。仮に差異・区別がなければ、企業や組織、友人、パートナーが私を選ぶ理由がなくなってしまうからです。

本書では「ロバのビュリダン」という寓話が紹介されています。賢すぎたロバのビュリダンは、自分の右側10m先と左側10m先に全く同じ量の藁の束が積んであるのを見て、どちらの藁を食べようか迷っているうちに飢え死にしてしまった、という話です。寓話ではビュリダンの愚かさにフォーカスが当たっていますが、藁の視点に立つと、差異がなければ選ばれないということをよく表していると思います

金間大介『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』(東洋経済新報社、2022)という本があります。最近の若者は極端な平等主義に染まっており、皆がいるところで自分の個性を褒めないでほしいと言うのです。実際、僕もこの本を読んだ後に何人かのZ世代に話を聞いてみたら、「皆の前で褒められると、褒められなかった人に悪い気がする」という答えが返ってきました。

「私は他者と違っていなくてよい」と考える若者は、深刻な人手不足の状況にあって「我が社に来てくれるなら誰でもよい」と採用を焦る企業と結託しやすくなります。しかし、企業は競合他社と差別化しなければ顧客から選ばれず、やがて潰れてしまいます。差別化されていない社員から企業としての差別化を作り出すことは容易ではありません。差異・区別を敬遠する若者の傾向は、人的資本の質が企業の中核的なサービスの質に直結する現代において深刻な足枷にならないかと心配しているところです。

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