ジョン・ロールズ(ブログ用)

《要点》
◆ロールズは学生時代、宗教哲学に触れていた。卒論はキリスト者としての立場から書かれたものである。その中には人格間の関係性の重視、メリット(=人間の長所や利点)のとらえ直しといった論点が含まれており、後年の政治思想を先取りしていて興味深い。ただ、ロールズ自身は第2次世界大戦を契機に宗教を離れ、倫理学へと傾倒していく。

ロールズは当時の倫理学で有力だった情動主義に抗い、客観的な科学と同様のやり方を倫理学にも持ち込もうとした。とはいえ、科学と倫理は完全にイコールではない。倫理上の決定手続きは、様々な熟慮された道徳的判断を相互に照らし合わせ、整合させる必要がある。この点で、ウィトゲンシュタインの言語ゲームの影響を受けている。

ロールズは当初、正義のルールを功利主義によって正当化しようとしたが、『正義論』の執筆にあたっては、ルソーの一般意志やカントの定言命法を参照している。すなわち、正義の原理が選ばれる状態は一般性を担保するものでなければならず、そのためには、可能な限り偶然性が捨象されていなければならない、ということである。

◆『正義論』では、自らの「善の構想」を追求する合理的な(rational)能力と、正義感覚を持つ理にかなった(reasonable)能力という2つの道徳的能力を有する人格が、自由かつ平等な市民として公正な条項の下で協働する社会を前提としている。各人が「無知のヴェール」によって、自他を区別する一切の情報から遮断されているという「原初状態」において、各人はいかなる正義原理に合意するか?とロールズは問うた。

ロールズの「正義の二原理」は、第一原理が「平等な自由の原理」、第二原理の前段が「公正な機会平等の原理」、後段が「格差原理」と呼ばれる。これらの原理に従って、自由と権利、機会、所得と富、自尊の社会的基盤、自由時間といった「基本財」が諸制度を通じて分配されていく。ただし、ロールズは事後の分配を行う福祉国家型資本主義を批判しており、「財産所有のデモクラシー」によって事前に分配しなければならないとした。

ロールズの政治哲学全体を導く方法論は「反照的均衡」と呼ばれる。この方法は、一定の前提から演繹的に導かれた「原理」と、市民の「熟慮された判断」を相互に照らし合わせ、互いの間に食い違いがないかを検討し、それらの均衡を探るものである。

ロールズ自身、家族という制度については現実を見て自身の見解を変化させたし、逆に、努力に応じて報われるべきという常識の指針に対しては、原理の立場から反省を促した。何よりも、ロールズは反照的均衡を自身の正義の理論にも及ぼし、正義を開かれたものとして位置づけている。

◆H・L・A・ハートは『正義論』に対して、人々が基本的自由を経済的利益より優先させることは自明ではないと批判した。これを受けてロールズはカントに一層接近し、市民が持つべき道徳的能力を一層はっきりさせるようになる。ところが、それを突き詰めるならば、カント的価値観を支持できる人だけが正(社会的な正しさ)と善(個人の幸福)の合致を実現できることになり、ロールズが目指していた多様な価値観の肯定と矛盾してしまう。

ロールズは『正義論』に続いて『政治的リベラリズム』を著すにあたり、「包括的教説(宗教の教えや哲学の学説に代表される、この世界全体を意味づけようとする極めて広い射程を持つ教説)」と「政治的構想(政治社会の基本的なあり方という対象のために用いられる、限定された考え)」を区別した。

ロールズの問題意識は、「多様な価値観によって支えられる立憲デモクラシーはいかにして可能か?」という点にあった。特定の包括的教説のみに従って政治を行えば、他の価値観は抑圧されてしまう。そこで、一定の公共的な政治文化を前提とし、公共的理性によって「重なり合うコンセンサス」を形成すれば、政治的構想は適切なものとなっていく。それはすなわち、様々な理にかなった包括的教説が、それぞれ異なった仕方で、同一の政治的構想を支持する状態を作ることである。

◆『正義論』、『政治的リベラリズム』は国内社会を射程としていたが、国際社会における政治的正義の構想を示したのが『万民の法』である。『正義論』と同様、諸人民を原初状態に置いた場合に合意される8つの原理を体系化した。ただし、理想理論の範疇にリベラルではない社会も含めたこと、また国際社会を再分配のユニットとするコスモポリタニズムの考えを退け、社会間の資源の移動を「援助の義務」にとどめたことをめぐって、論争を引き起こした。

また、ロールズが提示した人権のリストに見られる非政治性、国境を越えた人の移動に対する消極性、そして国際社会における圧倒的な不平等を再生産している構造に対するロールズの認識などに疑問や異論が提起されてきた。加えて、環境問題など、国際社会が協働して解決に取り組むべき諸問題への対応を豊かに含んでいるとも言いがたい。

◆晩年のロールズの主たる関心は、青年の頃に強い影響を受けた2つの経験、すなわち戦争と宗教に関わるものであった。論文「ヒロシマから50年」では、『万民の法』で考察した「開戦の正義」と「交戦の正義」を再構成し、原爆投下がなぜ不正であったのかという結論を導いている。

ロールズが唱えた公共的理性に対しては、「論争的な主張や価値を排除することは公共的討論の幅を著しく狭めるのではないか?とりわけ、宗教的信念を持つ人々にとって不利に働くのではないか?」という批判がある。ロールズは論考「公共的理性の観念・再考」の中で、但書の条件を満たすならば、包括的価値を公共的理性に導入してもよいとした。

簡潔な自伝的スケッチ「私の宗教について」の中では、ジャン・ボダンの『七賢人の対話』が高く評価されている。『七賢人の対話』は国家の下での諸宗教の共存が可能であると主張したことで知られており、『政治的リベラリズム』における「重なり合うコンセンサス」の先駆けを認めることができる。

さらにボダンは、非有神論のみならず無神論すら寛容の対象になると説いた。これをロールズの文脈でとらえ直せば、政治的価値を積極的に肯定も否定もしない立場のみならず、政治的価値を正面から否定する立場に対しても、政治権力による制裁が照準するのは外面の行為であり、内面の信念は寛容の対象としなければならない、ということになる。

◆ロールズのリベラリズムは、多元的な価値観の共存を目指す「政治的リベラリズム」と、不平等ゆえの社会的分断を回避するための「平等主義的リベラリズム」に集約される。だが、現代(ロールズの死後)では権威主義的ポピュリズムが政治的リベラリズムを脅かし、不平等の拡大が政治的自由の価値発揮を妨げる局面が増えている。

ロールズの著書で圧倒的な比重を占めるのは、理想理論に関する論述である。理想理論は、非理想的な状況が長期的に見てどのような達成目標に向けて克服されるべきかの方向づけを与え、制度再編の指針を提供してきた。一方で、ロールズ自身は、アメリカが抱える歴史的不正義、人種的不正義、あるいはジェンダー間の不正義などを縮減するのに役立つ理論の探究に必ずしも力を注がなかった。理想理論の役割については、論争が続くであろう。

《感想》
ロールズが生涯をかけて問い続けたのは、「理にかなっているものの両立不可能な宗教的・哲学的・道徳的な包括的教説によって互いに深く分かたれながらも、自由で平等な市民からなる安定しかつ正義にかなった社会が長期間にわたって存続することはいかにして可能なのか」(p213)ということでした。端的に言えば、多元的な価値観によって社会が分断されず、それらが共存するにはどうすればよいか?ということです。

「包括的教説」とは、宗教の考えや哲学の学説に代表される、この世界全体を意味づけようとする「世界観」のことです。いずれも論争的な価値観であり、政治に直接持ち込まれると必ず争いや不和を招きます(例えば、アメリカにおける人工妊娠中絶の是非など)。そこでロールズは、「政治的構想」に限定した仕方で、正義にかなった社会を再提示しようとしました。

ロールズによると、そうした社会は、一定の「公共的な政治文化」を備えていることを前提としています。公共的な政治文化とは、「各種の人権宣言や憲法、ロックの『統治二論』やミルの『自由論』といった政治思想の古典、重要な判例などに具体化」(p126)されているものです。

公共的な政治文化が共有されていれば、政治的構想(「信教の自由」、「自己決定権」、「生命の尊重」といった複数の政治的価値が結合したもの)に限定することで、理にかなっているものの並存不可能な包括的教説が「重なり合うコンセンサス」を形成できるとロールズは主張しました。

とはいえ、意地悪な見方をすると、条件に条件を重ねることで、「西側諸国の価値観を共有できていたら、包括的教説であっても、政治的価値に関して合意に至ることができる」と言っているにすぎないようにも感じます。

実際には、包括的教説と政治的構想を区別することは困難です。例えば人権運動・フェミニズムの流れを汲む中絶賛成派は「自己決定権」を持ち出し、伝統的なキリスト教の立場に立つ中絶反対派は「生命の尊重」を持ち出すといった具合に、政治的構想には包括的教説がどうしても流れ込みます。

また、とりわけ国際社会においては、西側諸国の価値観が共有されているとは限りません。西側諸国から見ると理にかなっていない価値観であっても、当事国は真面目に理にかなっていると信じている価値観があり、対立の火種となっています。

要するに、国内社会であれ国際社会であれ、我々がコンセンサスに至ることは日に日に難しくなっているのです。だから、これからは「同床異夢の政治学」が必要だと考えます。

最低限、「お互いに生き延びる」という点だけ合意し(この合意から、「力によって相手を排除する」ことだけは否定されます)、異なる価値観が積極的に闘争することを是認するような政治学です。きっと、下品な誹謗中傷や粗雑なフェイクニュースが増えるでしょう。それに対しては、理性と野性を融合させた表現の芸術で対抗する術を確立しなければなりません。

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