戦争はいかに終結したか(ブログ用)

《要点》
◆本書は「どのように戦争が終結するのか?」という問いに対して、「紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマ」という視角を提示する。そして、戦争終結を主導する優勢勢力側が「将来の危険」と「現在の犠牲」のどちらを重視するかによって、「紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマ」を解く均衡点(実際の戦争終結形態)が決定されると考える。

◆【第1次世界大戦】連合国・アメリカ側の内部でも、ドイツという「将来の危険」を重視し、ドイツ本土戦と無条件降伏の強制を主張するアメリカのロッジやパーシングと、「将来の危険」をそれほど評価しないウィルソンやイギリス・フランスの間で足並みが揃っていなかった。

最終的には、連合国・アメリカが「紛争原因の根本的解決」の極に近い決着を手にできるほどドイツを打ち負かしていなかったにもかかわらず、ドイツに過酷な条件を、ウィルソンの提唱する十四か条の原則の皮をかぶせて受け入れさせた。しかし、わずか20年で2回目の世界大戦を引き起こしたという点では、この戦争終結は失敗であった。ウィルソンが連合国との事前調整なしにドイツとの間で覚書を通じた折衝を開始したことは軽率であった。

◆【第2次世界大戦<ヨーロッパ>】ヨーロッパにおける第2次世界大戦の終結は、「紛争原因の根本的解決」の極にあるケースである。アメリカ、イギリス、ソ連は「現在の犠牲」を払ってでも、ドイツと妥協してナチズムが存続することになる「将来の危険」を拒絶し、無条件降伏政策を貫徹してドイツを完全に打倒した。とはいえ、アメリカが「現在の犠牲」をためらってソ連とのベルリン獲得競争から降りたことは、ドイツとは別の「将来の危険」について判断を見誤ったものであった。

第2次世界大戦では、最終的な決着までに、枢軸国によるフランスとの戦争終結と、連合国によるイタリアとの戦争終結がなされた。これらはいずれも「紛争原因の根本的解決」の極に近い戦争終結形態であった。ただし、どちらのケースでも、主敵との戦争が続行中であったため、戦略的打算から「紛争原因の根本的解決」の極にまでは至らなかった。

◆【第2次世界大戦<アジア太平洋>】アジア太平洋における第2次世界大戦で実際に選択されたのは、条件を付しつつも日本に全土占領などを強いた「紛争原因の根本的解決」の極に近い戦争終結であった。一時は、優勢勢力側(連合国側)の「将来の危険」と「現在の犠牲」が拮抗しており、日本にはつけ入る隙があった。それでも、アメリカが核およびソ連参戦の確約を得ると、日本にそれ以上の譲歩を行おうとするインセンティブが低下した。

日本が米英中によるポツダム宣言を即時受諾していれば、核使用とソ連参戦は避けられたはずである。ただ、ポツダム宣言の曖昧さゆえに(天皇制の存続が不透明だった)、日本は交渉の余地を見出し、ソ連仲介策という「幻想の外交」を求めてしまった(ポツダム宣言にはソ連の名がなかった)。アメリカがポツダム宣言にスターリンの署名を求めたり、正式な外交文書として発出したりしていれば、結果は違っていたかもしれない。

◆【朝鮮戦争】アメリカは韓国による朝鮮統一という「紛争原因の根本的解決」を諦め、休戦という形で「妥協的和平」の極に傾いた決着を選んだ。アメリカは、中国やソ連との全面対決に発展することで生じる「現在の犠牲」を恐れ、核使用を含むエスカレーションをためらった。一方、たとえ朝鮮半島北部が共産化しても、日本など東アジアにおけるアメリカの重要同盟国に直ちに波及する恐れがあるとか、アメリカ本土が共産側の脅威に直接さらされるとは考えられず、「将来の危険」を低く見積もることができた。

朝鮮戦争の終結をめぐっては、捕虜問題(国連軍が抑留した共産軍捕虜の中に、共産軍に帰還するのを拒否する捕虜が約5万人いた)の存在によって議論が複雑化している。これまでの研究では、朝鮮戦争終結の要因として、核の脅しか、スターリンの死かで論争が続いていた。しかし、捕虜問題が決着を見ようとも、朝鮮戦争が優勢勢力側にとっての「将来の危険」と「現在の犠牲」のバランスについて結論が出されないままに終結したとは考えにくい。

◆【ベトナム戦争】アメリカにとって「妥協的和平」の極に傾いた結果となった。アメリカはハノイの打倒(=「紛争原因の根本的解決」)はおろか、アメリカ軍と北ベトナム軍の南ベトナムからの相互撤退すら達成できなかった。アメリカの軍事的優位は、ハノイの損害受忍度の高さによって相殺された。一方、朝鮮戦争と同様に、たとえインドシナが共産化したとしても、「将来の危険」を低く見積もることが可能であった。

ベトナム戦争の終結が1973年1月までかかったのは、アメリカが自軍の撤退とサイゴンの崩壊の間に「時間的間隔」を置くことに最後までこだわったからである。しかし、「時間的間隔」が犠牲と釣り合うものでないことを認識し、早期に泥沼から抜け出すべきであった。

(コメント欄へ続く)

◆【湾岸戦争・アフガニスタン戦争・イラク戦争】湾岸戦争のケースでは、優勢勢力である多国籍軍がフセイン体制の自壊を予想するなど「将来の危険」を低く見、またバグダッドに進軍した場合の予測を含めて「現在の犠牲」の問題に敏感であった。そのため、戦争終結の形態は、イラク軍のクウェートからの撤退にとどまるという「妥協的和平」の極に傾くことになった。強者は強さゆえに「将来の危険」を恐れずに妥協できることを示している。

アフガニスタン戦争とイラク戦争は、タリバン政権の打倒および同政権がかくまうアルカイダの殲滅と、フセイン体制の打倒およびイラクの武装解除をそれぞれ目指した有志連合にとって、「紛争原因の根本的解決」の極にあるケースであった。しかし、有志連合側は、戦争後の対反乱作戦や国家再建という別のリスクを過小評価していた。

◆日本としては、NSC(日本安全保障会議)の下で、仮に戦争が始まった場合、いったん始まった戦争を理性的に収拾する「出口戦略」を描かなければならない。
<①日米同盟が優勢>
①-1.「将来の危険」が「現在の犠牲」よりも大きい場合(「紛争原因の根本的解決」に傾く)
①-2.「現在の犠牲」が「将来の危険」よりも大きい場合(「妥協的和平」に傾く)
①-3.「将来の危険」と「現在の犠牲」が拮抗する場合
<②日米同盟が劣勢>
などの場合に分けて、「頭の体操」を怠らないことが重要である。

《感想》
「国際政治学は、戦争と平和の問題を探究する学問分野である。そこでは、抑止や国際協力を通じた戦争の予防策や、戦争の原因究明分析が盛んになされてきた。しかし、『戦争はいかに終わるのか』についての研究、つまり『戦争終結論』は、量的にも少なく、まだまだ発展途上の研究領域である」(p3-4)そうです。

本書で著者が提示しているのは、「紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマ」という視角です。優勢勢力側にとって「将来の危険」が「現在の犠牲」よりも大きい場合は「紛争原因の根本的解決」の極に傾き、「現在の犠牲」が「将来の危険」よりも大きい場合は「妥協的和平」の極に傾いた戦争終結形態になります。優勢勢力にとって「将来の危険」と「現在の犠牲」が拮抗している場合を除いて、劣勢勢力側にできることはほとんどないと言います。

最も解りやすいのは第2次世界大戦時のヨーロッパにおける戦争終結でしょう。連合国側はドイツのナチズムという「将来の危険」を非常に重視し、「現在の犠牲」を払ってでもナチズムの完全なる打倒を実現しました。ただ、著者が示すモデルは一見シンプルなのですが、個人的にはいくつか疑問を感じる点もあります。

①「紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマ」という視角は、戦争が終結した時点を観察すれば確かに成り立つ。しかし、戦争のとある局面で「戦争がなぜ終結しなかったのか?」を説明することができない。

第2次世界大戦の序盤では、ドイツが連合国に対して圧倒的に優位であった。また、朝鮮戦争においても、国連軍が共産軍を北方に追いやり、逆に共産軍が国連軍を南方に追いやって優位に立った時期があった。それぞれのタイミングで、優勢勢力側がどうして戦争を終結させられなかったのかが不明である。

②優勢勢力側にとっての「将来の危険」と「現在の犠牲」が拮抗している場合を除いて、劣勢勢力側にできることはほとんどないと言うが、実際には意外とできることがあるように見受けられる。

第2次世界大戦時のヨーロッパでは、フランスを降伏させて優位に立っていたドイツに対し、イギリスのチャーチルがナチズムの打倒を決意したことが戦局を転換する契機となった。また、ベトナム戦争では、アメリカが優位に立ちながら、その優位性は北ベトナムの損害受忍度(ベトナムの民族自立のために、どんなに犠牲を出しても戦い抜く覚悟)によって相殺された。

③太平洋戦争では、アメリカが日本という「将来の危険」を(ドイツのナチズムほどではないにしても)重視し、「紛争原因の根本的解決」の極に近い戦争終結を模索していた。ところが、アメリカが核使用の準備を完了させ、またソ連参戦の確約を得た時点で、「将来の危険」はある程度低減したと解釈することも可能である。

アメリカはポツダム宣言に天皇制存置条項を盛り込んで、「妥協的和平」の極に多少傾いた戦争終結を目指すこともできたはずだ。ところが、実際にはそれをしなかった理由が解らない。日本は曖昧な内容を見て交渉の余地があると思い込み、ポツダム宣言の受諾が遅れた。その結果、2度の原爆とソ連参戦という悲劇を招いてしまった。

④湾岸戦争では、アメリカを中心とする多国籍軍がイラクのフセインという「将来の危険」を重視しながらも、「現在の犠牲」に敏感になり、フセイン体制の温存という「妥協的和平」が選択された。強者は強さゆえに「将来の危険」を恐れずに妥協できると著者は言うが、フセイン体制が温存されたがゆえに、後のイラク戦争につながったことを踏まえると、湾岸戦争での「妥協的和平」という選択には疑問が残る。

「戦争終結論」は端緒についたばかりなので、これから研究が充実していくことでしょう。その際、戦争がいかに「終結するか?」という事実を論じるにとどまらず、戦争がいかに「終結すべきか?」という規範論にまで発展することが望ましいと言えそうです。

本書の出版は2021年であるため、2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻、2023年に始まったイスラエルによるガザ侵攻がどのように終結するかを見通す内容にはなっていません。そして、僕も専門家ではありませんから、両戦争の終わりを予測することは不可能です。

ただ、本書では「紛争原因の根本的解決」という用語が、相手の打倒、殲滅、武装解除、無条件降伏といった軍事的な意味合いで使用されていますが、さらに根本にある政治的、宗教的、経済社会的、文化的、民族的対立などを克服する形での解決を目指すことこそ、正義にかなっているのではないかと感じます。

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