
《要点》
◆冷戦が1980年代末に終わった後で、米欧は旧ソ連諸国を「ヨーロッパの一部」として組み込んでいく政策を追求した。実際、旧東欧諸国は「ヨーロッパの一部」となることを選択した。しかし、エネルギー開発の成功が「あや」となって、ロシアは「ヨーロッパの一部」ではなく、「旧ソ連的な勢力圏」の再構築を追求した。加えて、中国の台頭がもう1つの「あや」となって、ロシアは中国にバンドワゴンする形で米欧との対立を深めていく。
一方でそれを抑止できた可能性のある唯一のプレイヤーのアメリカにとって、主要な課題は中国の抑止であり、対ロシア戦略は対中国戦略に従属するものでしかなく、軍事的な抑止のための決定的な行動を取らなかった。
そして決め手となったのが、ロシアにおける「インテリジェンスの政治化」であった。その結果、ロシアは容易にウクライナを制圧できると考え、また陸上兵力の展開期間の限界といった問題もあり、2022年2月24日の開戦の決断に至ったと考えられる。
ウクライナ戦争は、「自分は何者なのか?」というアイデンティティをめぐる戦争である。ロシアは多極化した世界で「旧ソ連的な勢力圏」を形成すべきプレイヤーと自認し、ウクライナは「ヨーロッパの一部」となることを選んだ。アイデンティティをめぐる戦争に「折り合い」をつけることは基本的に不可能であり、この戦争の終わり方を考える作業は非常に難しい。
◆「抑止」とは、相手が取る可能性のある行動のコストやリスクが、その利益を上回るように相手を説得することであり、「相手側が合理的であること」、「抑止する側に十分な能力=抑止力があること」、「相手に対し信頼性の高い(能力や意図の)伝達を行うこと」が重要な要件となる。ウクライナ戦争は抑止が破綻したケースであり、そこからは8つの知見を導くことができる。
①ロシアによるウクライナ侵攻は「力に基づく一方的な現状改革」であった。
②ロシアの政治体制(競争的権威主義)がプーチンの個人意思をロシアの国家意思として体現した。
③侵攻前にロシアは全般的な国際関係が現状変革に有利と認識していた。
④侵攻前に核を含む戦略兵器のバランスも現状変革に有利と認識されていた。
⑤侵攻前に現地の軍事バランスもロシアに有利と認識されていた。
⑥現状維持側の「探知による抑止」は有効でなかった。
⑦経済制裁の脅しによる「領域横断的抑止」は有効でなかった。
⑧「戦争の終わらせ方」をめぐっても現状維持側に混乱がある。
これらの知見が示すのは、ウクライナで抑止破綻を導いた要因は台湾海峡にも存在しており、実際に抑止の破綻が起こる可能性が無視できないということである。これを防ぐには、現状維持勢力としての抑止の強化に努める他ないであろう。
◆ウクライナ戦争は、①戦いの当事者双方が本格的に宇宙を作戦利用している初めての戦争である、②「初の商業宇宙戦争」と呼ばれるほど、企業が提供する多様な宇宙サービスが、とりわけウクライナ側の作戦に使用されている、③互いに宇宙利用を妨害し合っている、という特徴がある。
③に関しては、ロシアによる全面侵略の開始から1年以上が経過してもウクライナ軍が宇宙利用を続けられている点も重要である。宇宙システムが攻撃を受けても宇宙利用を継続できる場合があり、そのためには宇宙システムのレジリエンスや防護がカギを握ることを示している。
東アジアに目を向けると、中国はロシアを抜いてアメリカに次ぐ数の衛星を保有・運用しており、またその対宇宙能力は世界最高水準であることを考慮しなければならない。台湾有事を阻止するには、①現状維持側のアメリカなども陸海空での作戦をより効果的に実施するために、商業宇宙サービスも活用しながら宇宙システムの活用を進めていく、②対宇宙能力を高めていく、③宇宙システムのレジリエンスや防護の強化に取り組むことが重要となる。
◆2014年のクリミア危機で、ロシアがクリミア半島の無血占領に成功したのは、「ハイブリッド戦争」のおかげである。ハイブリッド戦争とは、①第1段階の情報戦・心理戦で敵国社会を攪乱し弱体化させ、②第2段階のサイバー戦で敵国の重要インフラや政府機関などを攻撃して敵の継戦能力を無力化し、③第3段階の通常戦で軍事侵攻を行う、というものである。クリミア危機では①と②で趨勢が決し、③なくしてクリミア半島の占領を行うことができた。
しかし、ウクライナ戦争では、クリミア危機の成功体験が足枷となった。ウクライナ戦争に先立って、ロシアは情報戦・心理戦やサイバー戦を仕掛けていたが、アメリカが全面的にウクライナを支援したおかげで、ウクライナは致命傷を負わず、むしろ戦争の初戦において新領域の戦いを優位に進めることができた。
ハイブリッド戦争戦争から国家を守るには、新しい安全保障観が必要である。すなわち、軍事力のみで挑むのではなく、外交(Diplomacy)、情報(Information)、軍事(Military)、経済(Economy)というDIMEを全て動員して真剣勝負をするという安全保障観である。
◆逆説的だが、政治的効果(相手国の戦意をくじく)を重視した都市攻撃に対しては戦術核が使われる可能性が高く、軍事的効果(相手国の軍事力を破壊する)を重視した戦場での核使用においては戦略核が使われる可能性が高くなる。この前提で、プーチンが核兵器を使用するとすれば、「①核兵器の使用によって決定的な勝利を得られる場合」か、「②核兵器の使用によって決定的な敗北を回避できる場合」の2つが考えられる。
①に関しては、開戦直後ならまだしも、全体の戦局が膠着している状態で選択されるとは思えない。ウクライナが抗戦を諦めるとは考えにくいからである。②に関しては、2022年9月にウクライナがハルキウ反攻でロシア軍を壊滅状態に追いやった時が一番近い状況であったが、プーチンは核を使用せず、30万人の動員令を発することで通常戦力の再建を図った。
◆ウクライナ戦争の終結に向けては、3つのシナリオが想定される。
①軍事的現実の政治的固定化:合意成立時点でのロシアの占領地をロシア領とする一方、ロシアがウクライナに対する軍事行動を停止する。
②軍事と政治にまたがるバーゲニング:ウクライナが一部の占領地の奪回を諦めてロシアに割譲する一方で、ロシアはウクライナが「ヨーロッパの一部」になることを認め、NATO加盟やウクライナへの米軍駐留を受け入れる。
③ワイルドカードイベントの発生:プーチン政権の転覆などモスクワでの政変が起こる、あるいはベラルーシにおいて政変が起きる、など。
しかし、いずれも可能性は低いと言わざるを得ない。③は文字通りワイルドカードであるし、①②ではロシア、ウクライナ双方にとって、自国のアイデンティティが一部傷つけられた状態で戦争が終結するからである。
戦争を終わらせるために国際社会がなすべきことは、ウクライナが占領地を全て奪回できるように支援することである。それが実現すれば、少なくともウクライナ側には戦争を終結させる理由が生まれるからである。
《感想》
2025年最初の書評はこの1冊。ロシアによるウクライナ侵攻は来月で丸3年になろうとしています。
冷戦後のアメリカはロシアを封じ込めるのではなく、「ヨーロッパの一部」として取り込んでいく政策を実行しました。ところが、結果的にロシアは「ヨーロッパの一部」となることを拒否し、「旧ソ連の勢力圏」の再構築を選択しました。
アメリカが自らの味方にしようと入れ込んだ国がアメリカに牙をむくことは、これまでの歴史で何度も繰り返されてきたことです(以前、「佐橋亮『米中対立』ーアメリカは昨日の友を今日の敵にする天才」という記事でも書きました)。
アメリカは経済的なイノベーション(革新的な製品・サービスで世界中の人々に行動変容をもたらすこと)を得意としていますが、政治的なイノベーション(アメリカが普遍的価値として掲げる自由・平等・民主主義を世界中に行き渡らせること)はどうも苦手なようです。
自由・平等・民主主義はいずれも、何らかの望ましい社会を実現するための手段であるのに、アメリカはそれ自体を目的化して相手国に強要する傾向があります。例えばアフガニスタンやイランではアメリカのそうした振る舞いが見られました。相手国からすれば、普遍的価値を受け入れるメリットを感じられないため、アメリカの強引さを嫌い、従来の権威主義的な政治で対抗しようとするのかもしれません。
こうなると、著者が言うように国家のアイデンティティをめぐる対立になり、解決は一筋縄ではいきません。第2次世界大戦は自由主義と全体主義の対立であり、冷戦は資本主義と社会主義の対立でした。いずれも、前者が後者に完全勝利するまで続きました。ただ、今回のウクライナ侵攻では、どちらかが完全勝利するまで世界は待つことができるでしょうか?
一般的に、Aさんが「Bを殺すまでBを許さない」と考え、Bさんが「Aを殺すまでAを許さない」と考えている場合、2人の共存は不可能であるように見えます。今のロシアとウクライナの関係はまさにこれです。それでも、世界は両者が共存できる道を模索しなければならないと感じます。
先ほどのAさんとBさんの例で言えば、中立的な第三者に間に入ってもらうという手があります。しかし、物理的に国境を接しているロシアとウクライナの間に、第三者がどのように介在すべきかは考えどころです。日本も知恵を絞る必要があります。
なぜ日本がそうしなければならないのでしょうか?近く起きるかもしれないと言われている台湾有事は、中国とアメリカのアイデンティティをめぐる対立となります。その際、間に入る役割を最も期待されるのは、地理的に両国の間にある日本です。よって、仲介者・調停者としての役割を今のうちに明確にしておくことは、国際社会に対する大きな貢献となるはずなのです。
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