
《要点》
◆中国をめぐる対外政策論にはリアリズムの影響が強く、リベラリズムに基づく議論が中国専門家の間で主力になったことはない。一方で、中国のイデオロギー、指導者の認識、政治経済社会の構造、さらに世論など、国内要因に重きを置いて中国の対外政策を説明すべきだとする「内政理論」がある。本書は内政理論を下地に、中国の対外政策を紐解く1冊である。
◆中国の世界観は3つの要素から構成されている。
①中華帝国の喪失感:19世紀以降、帝国主義によって中華帝国が蚕食された経験が大きい。ただし、中国人は中華帝国を復活させるべきだとは考えておらず、むしろ帝国主義の侵略を反面教師とし、内政不干渉を絶対的な原則としている。中華思想による対外膨張を目指しているわけではない。とはいえ、中国は文化的に周辺国からリスペクトされたいと思っており、自国が尊重されていないと感じると制裁行動を繰り出す。
②中国に浸透する強烈なリアリズム:国際関係論におけるリアリズムとはやや異なり、中国のリアリズムははるかに人間的な要素が強く、権謀術数の渦巻く場所として世界を描く傾向がある。根底にあるのは、性悪説に基づく徹底的な警戒心である。
③中国共産党の組織慣習の影響:現在の中国共産党は、他国の革命に介入して世界革命を推進しようとは言わない。それは内政干渉にあたるからだ。代わりに「人類運命共同体」などの目標を掲げ、人類の明るい未来を実現しようと唱えている。明るい未来と対比される現在は暗く描写される。ただし、暗い現在が国内に存在してはならない。仮にそうだとすると、中国共産党による政治が失敗していることを意味してしまう。そこで、暗い現在は常に外部からの脅威としてとらえられる。
◆日本人が中国社会の動き方を理解する最も有効な方法は、まずは家族構造の差から両国の社会構造の違いを明示することである。フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドの分類によると、中国の家族は「外婚制共同体家族」である。すなわち、親子関係が権威的で兄弟関係が平等であり、かついとこ同士の結婚を認めないという形態である。こうした家族形態は社会主義国家によく見られる。
外婚制共同体家族を基盤とした組織では、①権威が最高指導者に一点集中し、②組織内分業についてボスが独断で決める。また、③同レベルの部署同士は上の指示がない限り連絡を取らず、助け合わない。むしろ、同列の部署同士は、ボスの歓心を買うための対立や競争の関係にある。そのため、④トップの下にいる人は、「今がどういう潮目の時期か?」を常に熱心に読み取ろうとし、どんなことをしてでも潮流に乗ろうとする。
中国には、党、軍、国(政府)という3つの組織系統がある。中国全体の「父(家父長)」と言えば、党中央、すなわち党中央政治局常務委員会の7名を指す。そして、その「息子」に関しては、党系統が正妻の息子、軍系統が2番目の妻の息子、国系統が3番目の妻の息子と位置づけると理解しやすい。
◆毛沢東時代の中国の政治・外交には「穏歩と急進」と呼ばれる振り込現象が観察される。建国当初の中国の対外政策は、相反する2つの原則を抱え込んだ。すなわち、(社会制度の異なる)主権国家間の友好や平和共存を謳う国益重視の原則と、世界革命の実現を掲げて世界各国の反体制派に積極的な支援を行うイデオロギー重視の原則である。
毛沢東時代には、対外関係に2つのチャネルが存在した。中国が主権国家として他の国家と対等な関係を樹立するため、政府内に置かれた「外交部」と、中国共産党が他国の共産主義政党(兄弟党)との関係を保つため、党内に置かれた「中連部」の2つである。まず、外交チャネルが2つあり、お互いにボスである毛沢東の歓心を買おうと競争関係にあることが、中国の外交を一貫性のないものにした。
スターリンの死後、中ソ離反が起きると、毛沢東は急速に極左外交を展開するようになる。外交部は力を失い、中連部の中では権力闘争が起きた。毛沢東は自身への権力集中を進め、反対派を封じ込めていった。こうした内部の混乱が、米ソ両大国に背を向けたり、東南アジア(特にベトナムとカンボジア)の兄弟党に亀裂をもたらしたりと、国益を損なう支離滅裂な外交へとつながった。混乱が修復されたのは、鄧小平の時代に入ってからである。
◆中国共産党は、政治的な一党独裁制を維持しながら、経済的には市場経済を進めるというキメラ状態を実現している。中国に市場経済を導入したのは鄧小平であるが、彼は元々筋金入りの共産主義者であり、改革派ではなかった。そんな鄧小平が改革開放路線に踏み切ったのは、あくまでも党を守るため、言い換えれば毛沢東時代に壊滅状態となった人民の党への支持を回復するためであった。
鄧小平は日本モデルを参考に市場経済の導入を進めた。そして、経済的なインセンティブを大々的に採用した。指導部は、市場経済型の競争制度を政治の場にも適用し、様々な問題の決定権を息子たちに委譲した。また、各地の経済建設に責任を負う地方政府も、省のGDP成長率などによって競争する関係となった。とはいえ、中国共産党が経済を統制するという構図には変わりなく、恐怖政治の中でそれぞれのアクターは指導部が示す潮流に敏感になっている。
鄧小平の後、江沢民の時代は指導部に凝集力があり、経済も上向きであった。しかし、胡錦涛の時代になると凝集力に陰りが見え、息子たちは自分の利益を追求してバラバラな行動を取るようになった。それを見ていた習近平は自らへの権力集中を進め、権威づけのために「一帯一路」構想を打ち出し、「人類運命共同体」を実現すると主張している。
◆親にあたる党中央や高位指導者から、子にあたる地方政府は、その地の経済社会の発展を任されている。地方政府は自らの任務を貫徹して親から評価されたいと考え、相互に競争している。地方政府は、親の関心や意向を忖度し、親の好みを探りながら自分の行動を決める。しかも、経済活動は国境を越えた取引を前提とするため、地方政府は自らの評価のために他国の人々を積極的に巻き込み、自分たちの行動が世界的潮流にかなうことを親にアピールして、中国国内の政治ゲームを有利に戦おうとする。
その好例が広西チワン族自治区政府(広西政府)である。広西政府は国内の厳しい政治競争の中で、国務院が主導したACFTA(ASEAN-中国自由貿易圏)の旗振り役としてのチャンスを必死につかみ取った。広西政府は、中国ーASEAN博覧会の永久開催地としての地位を獲得し、さらには汎北部湾経済協力の構想を拡張させ、北部湾港の建設によって自らを中国と東南アジアとの経済協力の中枢に位置づけた。
だが、地方政府の対外協力はあくまでも国内的な政治アピールの側面が強い。その動力となるのは地方政府と幹部の利益であり、国際関係そのものに対する関心や配慮、ましてや深い洞察や思想ではない。
◆中国が海洋問題をめぐって諸外国と軋轢を生むようになったのは、「国家海洋局」の影響が大きい。
国家海洋局の担当者は、1994年の国連海洋法条約の下で国際的な海洋分割が始まったという認識に基づき、中国が新たな国際秩序の中で海洋権益を最大化できるよう、対策を打ち出した。2000年代後半以降、諸外国に「強硬」と指摘された海上法執行や島嶼管理強化のアイデアは、基本的には1996年の『中国海洋21世紀議程』で提唱されていた。しかし、「局」(日本の行政で言うと「庁」レベル)という位置づけからも解るように、中国国内では日陰者であった。
その国家海洋局が指導部の関心を引いたのは、歴史と海をめぐる日中関係の悪化がきっかけであった。「弱腰」と批判され、毅然とした対外政策を取る必要性に迫られた胡錦涛政権は、2006年夏、国家主権と安全保障の擁護という新たな外交目的の提唱と並行して、中国海監総隊の増強を許可した。加えて、国家海洋局の提案に沿う形で、中国の主張する管轄海域全体で排他的な「権益擁護」活動の展開を容認し、法律整備や島嶼行政を通じて管轄海域の統治体制を固めた。しかしその強硬策には、外交部が管轄する国際問題への配慮が全く欠けていた。
◆集権化を進め、「万能主席」と呼ばれる習近平の下で、中国社会の対外行動は今後どのように変化していくか?第一に、当面の間、個々の中国人の対外活動は全体的に、党中央の意向を受けたかなりお行儀のよいものになる。他方で第二に、国家と社会の一体化が進み、社会が国家におもねるような行動を取っていく可能性が高い。特に企業においてはその傾向が顕著化する。
米国との対立の深まりを受けて、中国は「一帯一路」下で世界の国々、特に発展途上国への接近をさらに深めようとしている。中国が独裁政権の経済発展を結果的に支援し、世界の中で権威主義体制の長期化と普及に貢献してしまう可能性は存在する。だが、中国がそれらの貧しい国々の「盟主」となることは、中国にとってコストは高くメリットが少ない。
中国最大の問題は、世代交代である。習近平という重しを失った時、中国のキメラがどうなるかはまだ解らない。しかし、中国は必ず拡散の方向に向かう。
《感想》
国際関係理論には様々な流派がありますが、長らく中心を担ってきたのは「リアリズム(現実主義)」です。リアリズムは、各国に主権がある一方で、それらを超越する政府が存在しないこと、つまり世界的には無政府状態(アナーキー)であることを前提とします。
この時、各国がサバイバルのために選択する対外行動は、バランス・オブ・パワー(勢力均衡)と呼ばれる国家間の力の構造によって説明されます。それぞれの国は、近隣の国家間の力関係を見ながら、大国は大国なりに国力の増強に励み、小国は小国なりに生き残りを図っていきます。平たく言えば、国家の外部環境が国家の対外行動を規定します。
これに対して本書は、中国にスポットを当て、中国のイデオロギー、指導者の認識、政治経済社会の構造、さらに世論など、国内要因に重きを置いて中国の対外政策を説明する「内政理論」をベースとした1冊です。中国の内部環境が中国の対外行動を規定する、というわけです。
国家の対外行動を外部環境が規定するのか、内部環境が規定するのか?という話は、企業の戦略を外部環境が規定するのか、内部環境が規定するのか?という話とよく似ています。企業戦略論の外部環境アプローチの代表例としては、マイケル・ポーターの競争戦略論を、内部環境アプローチの代表例としては、J・B・バーニーの資源ベース論を挙げることができます。
ただ、現実の企業はどちらか一方のみで自社の戦略を決定することが少ないのと同様、国際関係理論においても、本当は両者のアプローチを統合することが望ましいのだろうと感じました。
国際関係理論には、血生臭いリアリズムに対して、国家間の協調関係を重視する「リベラリズム」もあります。しかし、著者によると、中国ではリベラリズムが専門家の間で主力になったことはないそうです。中国には独特のリアリズムが根づいており、性善説を警戒し、世界を権謀術数の渦巻く場所として描く傾向があります。
おそらくこれは、中国古代(春秋戦国時代)の諸子百家がもたらした影響なのでしょう。諸子百家の中には、日本人が好む孔子の儒教も含まれますが、性善説に基づく孔子の思想は、政治的にはついに受け入れられることがありませんでした。各国が覇権をめぐって熾烈な争いをしている状況では、性悪説寄りの人間臭い思想の方が好まれたのです。
中国の内政理論、独特のリアリズムを紐解くカギを、著者は中国の家族構造に求めています。家族学の大家であるエマニュエル・トッドは、「親子関係が自由か権威的か?(=子どもが成人したら家から独立するか、成人後も親と一緒に暮らすか?)」、「兄弟関係が平等か不平等か?(=長子の相続権が強いか、兄弟間で平等に相続されるか?)」という2軸でマトリクスを作り、各国の家族を4つのタイプに分類しました。
この分類によると、中国の家族は「親子関係が権威的で、兄弟関係が平等」という「共同体家族」に該当します。さらにトッドは、いとこ同士の結婚などの可否によって共同体家族を3つに分けており、中国はいとこ同士の結婚を認めない「外婚制共同体家族」と位置づけています。外婚制共同体家族は、中国の他にロシアやインド北部などでも見られる形態です(ちなみに、日本の家族は「親子関係が権威的で、兄弟関係が不平等」という「権威主義的家族」にあたります)。
外婚制共同体家族を基盤とした組織では、①権威が最高指導者に一点集中し、②組織内分業についてボスが独断で決める。また、③同レベルの部署同士は上の指示がない限り連絡を取らず、助け合わない。むしろ、同列の部署同士は、ボスの歓心を買うための対立や競争の関係にある。そのため、④トップの下にいる人は、「今がどういう潮目の時期か?」を常に熱心に読み取ろうとし、どんなことをしてでも潮流に乗ろうとする、といった特徴が見られます。
日本の組織では、組織の目的を実現するために同僚同士が助け合い、時には部門の壁を超えて協力するのが普通です(もちろん、同僚同士の出世争いや、部門間の派閥争いもありますが)。しかし、中国の組織では、誰かがミスをしても他の人や他の部門がカバーすることがありません。誤解を恐れずに言えば、中国では誰もが徹底的な自己保身に走っているのです。中国人は卓球や体操などの個人競技にめっぽう強い反面、サッカーや野球のようなチームスポーツを苦手としている一因が解ったような気がしました。
僕の関心は、「こうした組織的特徴を持つ中国において、アメリカのような強いイノベーションは起きるのだろうか?」という点にあります。アメリカ型イノベーションとは、一般的なイノベーションとは異なります。一般的なイノベーションは、「革新によって大きな価値をもたらすこと」と幅広くかつ曖昧に定義されますが、アメリカ型イノベーションは「①『全世界』をターゲットとし、②過去の消費行動や業界構造、社会規範を『否定』して、③革新を通じ世界の人々に『プラスの行動変容』をもたらすこと」を指します(ここでは明らかにGAFAMなどを念頭に置いています)。
僕は、アメリカがイノベーションに強いのは、自由、平等、博愛という、ヨーロッパが普遍的価値としてきたものを、アメリカなりに進化/深化させたことが大きな要因であるという仮説を持っています。この仮説に照らし合わせると、中国がアメリカのようなイノベーション国家になり得るかについては、疑問符をつけざるを得ません。
①平等の観点:アメリカ型イノベーションは、様々なニーズを抱き、様々な業界慣行や社会規範の中で生きる全世界の人々を平等に扱い、それらをいったんリセットして地ならしするところから出発します。この点、ボスの言うことが絶対であり、それを否定できない中国人には、平等の精神を発揮することが困難です。
②自由の観点:アメリカ型イノベーションでは、地ならししてゼロになった状態の上に、多くのイノベーターが創造力を発揮して新しい世界の構築を目指します。そして、競争関係にあるイノベーションの中から、選ばれたものだけが世界制覇に成功します。一方、中国では政府が国家戦略の中で注力すべきイノベーションを特定しており、それらのイノベーションを実現する主体も割り当てています。そこには創造性や競争という概念が見られません。
③博愛の観点:アメリカ型イノベーションは、「全世界で○○を実現したい」という、利己的な野心から出発し、「自分にとって望ましいことは、世界にとっても望ましいことである」という博愛によって、自らのイノベーションを世界に普及させます。こうした精神は、利己的利他心と名づけることができるでしょう。これに対して、中国人は組織のトップもメンバーも皆、自分の地位や身分を守るという意味で利己的であるにすぎず、世界に向けた利他の心を見せることがありません。
最後に、本書は2019年に出版されたものですが、中国の対外行動を分析する題材として使われているのは、広西チワン族自治区政府(広西政府)の対ASEAN関係や、国家海洋局による海洋拡張行動です。ただ、現在世界的に課題となっているのは、中国の対アメリカ戦略や対台湾戦略といった、もっと大きな戦略の方です。
これらの対外戦略は、一体どのように説明すればよいのでしょうか?本書によれば、中華思想や世界制覇への野心が中国をこうした戦略に駆り立てているのではなく、内政理論に従った結果だということになります。中国共産党が政権の維持を目指し、共産党の末端組織や軍、政府もまたそれぞれが自己保身に走ると、どうして現在のような強硬な対アメリカ、対台湾戦略が形成されるのか、著者の見解を聞いてみたいところです。
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