演繹革命
《要点》
◆著者が銀塩写真フィルムの会社である小西六写真工業(現コニカミノルタ)に勤めていた時のこと、ソニーが「マビカ」という写真フィルムのいらない電子カメラを発表し、またある講演会で半導体の「ムーアの法則」の話を聞いたことを受けて、「30年後には半導体の性能が向上して画素数が写真フィルムに追いつき、自社の製品が市場から完全に消滅する」と予想を立てた。しかし、著者の警告は社内で聞き入れられなかった。

その後、シリコンバレーのコンサルティング会社に勤めていた時は、「生活を豊かにする数々のアプリケーションのプラットフォームで、そのアプリケーションは外部のネットワークで動き、またアプリケーションを通じて外の人たちとの交流を広げる手のひらサイズのコンピュータ=”OnePhone”」という事業構想を温めていた。しかし、この構想を受け入れる日本の携帯電話会社はなかった。

小西六写真工業が著者の警告を無視し、日本の携帯電話会社からiPhoneが生まれなかったのは、日本企業がイノベーションに必要な演繹思考ではなく、帰納思考で動いているためである。

◆事業プランを考える上で、帰納思考と演繹思考ではアプローチが全く異なる。帰納思考では、過去の成功例を前例として調べ上げ、その集大成として事業案をまとめていく。一方、演繹思考では、コンセプトを前提として考えるところから始める。「このコンセプトでこういうやり方をすれば、こんな付加価値が生まれるはずだ」という仮説を立てる。

帰納思考と演繹思考では、①失敗、②優秀、③意思決定、④時間軸、⑤人材に関する意識、⑥価値基準、⑦学び、⑧変化、⑨利益、⑩新製品の開発プロセスにおいて大きな違いがある(詳細は《感想》を参照)。

イノベーションの創出にはベンチャーキャピタル(VC)も重要な役割を果たす。アメリカのVCは演繹思考で動いている。VCの根本的な動機は、スタートアップ企業を通じて世界を変えるような新しい事業や産業を創造したい、という根源的な欲求である。それに成功すれば、巨万の利益は後からついてくる。アメリカのVCは30~40社に分散投資し、その中から1社でも大当たりが出たら、残りの失敗は全て回収できると考える。

一方、日本のVCは帰納思考で動いている。元々、金融機関が融資しないような(相手にしないような)リスクの高い中小企業を救い上げることを目的としていたため、VCは可能な限り多くの投資先が失敗なく上場することをゴールとする。東証マザーズ(現グロース市場)の上場基準が緩いこともあって、日本では小粒のスタートアップ企業しか育たない。

◆帰納思考と演繹思考は180度異なるので、帰納思考で動いている既存企業が演繹思考を取り入れるには、「別の箱」を作るしかない。

①まずは、帰納思考によってトップに上り詰めた経営陣が意識を変え、自らの帰納思考とは異なる演繹思考という世界があることを知る。

②社内に眠っている両利きの個人(=帰納思考と演繹思考が両方できる人)を見つけ、育てる。育成にあたっては、従来の人材育成の枠組みで行わず、先の解らない状況に身を置いて、自ら試行錯誤させるしかない。

③既存企業の組織文化や価値観に束縛されやすい「新事業推進室」、「イノベーション推進室」のような中途半端な箱を作るのではなく、最初は小さくてもよいから、既存組織とは完全に切り離された箱を作る。

④終身雇用、年功序列、新卒一括採用、ジョブローテーション、定年退職という帰納思考の人事とは全く異なる演繹思考の人事を考案し、未来へ向けて帰納組織を変革する。

⑤箱の成果を検証し、古くなった帰納組織を徐々に吸収していく。帰納組織には、すぐに演繹思考を身につけられる社員もいれば、そうでない社員もいる。帰納組織の社員は、「産業・事業の死のマネジメント」を意識し、自らの産業・事業が消滅する際の感情の変化(否認⇒怒り⇒取引⇒諦め⇒受容)を理解しておくことが重要となる。

◆演繹思考の箱では、演繹人材チームを結成する。経営陣が演繹リーダーを発掘し、演繹リーダーが演繹プレーヤーを発掘する。箱が大きくなってきたら、演繹組織と帰納組織の間で調整が必要となる場面が生じる(例:革新的な新製品・サービスを既存顧客に試してほしい、など)。こうしたケースに備えて、帰納組織の中に演繹サポーターを作っておくことも大切である。

◆「AIファースト」の時代には、演繹思考の人材が生き残り、帰納思考の人材は淘汰されやすい。日本の教育は昨日まで正しかった答えを間違いなく覚えるという「正解主義」であり、帰納思考の典型である。一方、これからの教育に求められるのは演繹思考であり、新しい社会(What)を考え、それを探求するために様々な疑問(Why)を検討、解明する教育である。その1つとして、アメリカのモンテソーリ式教育が参考になるだろう。

◆イノベーションを求めて「オープンイノベーション」に取り組む企業が増えているが、帰納思考のままでは成功しない。演繹思考を習得する上では、以下のような思考法が役に立つ。

①デザイン思考:「デザインで使われる思考と手法を用いてビジネス上の問題を解決する方法」という理解は狭義の理解である。デザイン以上の意味で顧客の生活全体に思いを馳せ、潜在ニーズを探る必要がある。演繹思考で動いているスタートアップ企業と交流し、スタートアップ企業を調査する既存企業にとって、デザイン思考は有益である。

②P/L志向からB/S志向へ:毎年売上高と利益を足し算で伸ばしていくP/L志向の経営は帰納思考である。一方、演繹思考の経営で重要なのは、企業が将来にわたって生み出すであろうキャッシュフローの総額としての企業価値であり、それはB/Sに反映される。この点を意識する必要がある。B/Sは掛け算のペースで増えていくものである。

③アブダクション:演繹思考の最初の段階である、仮説の前提となるコンセプトを探る思考法として用いる。帰納法が観察された数多くの事実から一般原則を導く考え方であるのに対し、アブダクションは観察された限定的な事実の中から仮説的なコンセプトを捻出する。

◆大企業の経営者は、新規の取り組みに対しては演繹人材を登用して演繹思考で進め、既存部門とは水と油として混ぜないことが成功へのカギである。大企業の経営幹部、上級管理職は、経営トップを目指すならば「両利き」の人材を目指す必要がある。

大企業の社員は、AIによる企業の大変革を喜ぶべきである。帰納思考から演繹思考へと価値観が変われば、年功序列ではなくなり、年齢や経験年数に関係なく活躍できるようになる。そのためには、まずは経営トップ、幹部、上司の話を鵜呑みにせず、帰納思考と演繹思考の両方のメガネでフィルターすることが重要である。そして、社内の他部門の人たち、さらには社外の人たち(できれば海外)とも交流を積極的に進め、演繹思考を深めていくとよい。

《感想》
30年以上にわたり、起業家やVC(ベンチャーキャピタル)、新規ビジネスに関わってきた著者の校條浩氏は、イノベーションに必要なのは「帰納思考」から「演繹思考」への転換だと言います。

帰納法とは、複数の事例や観察結果から共通点やパターンを見つけ出し、一般論や仮説を立てる方法です。「左利きの人にはよい成績の人が多い」という事例から、「左利きは才能と関係がある」という仮説を立てるなど、具体的な事象から一般的な結論を導き出します。

一方、演繹法とは、一般的に正しいとされる前提から、論理的に結論を導き出す方法です。「すべての人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。したがって、ソクラテスは死ぬ」のような三段論法の推論が演繹法の代表的な例です。演繹法は、数学や論理学などの分野でよく用いられます。

著者が言う帰納思考型の経営とは、既存事業や過去の延長線上で顧客ニーズの情報や製品・サービス、オペレーションのデータを収集し、ニーズにより深く刺さるよう製品・サービスの品質を向上させる、あるいはニーズをより効率的に満たせるようオペレーションを改善するといった、ミスの少ない経営のことを指します。

これに対して、演繹思考型の経営は、コンセプトを前提として考えるところからスタートします。「このコンセプトでこういうやり方をすればこのような付加価値が生まれるはずだ」という仮説を立て、それを実証していくのです。もちろん、仮説が誤っていることは往々にしてあり、演繹思考型の経営では失敗と修正が推奨されます。

帰納思考と演繹思考では、①失敗、②優秀、③意思決定、④時間軸、⑤人材に関する意識、⑥価値基準、⑦学び、⑧変化、⑨利益、⑩新製品の開発プロセスにおいて大きな違いがあります。それを下図にまとめました。端的に言うと、帰納思考型の経営は売上や利益を短期的・連続的に積み上げる秀才型の経営であり、演繹思考の経営は非連続的なコンセプトによって世界を創り変え、長期的に見て売上・利益が後からついてくればよいとする異端児の経営です。

20250420_帰納思考と演繹思考①
20250420_帰納思考と演繹思考②

僕は大昔のブログに、「マーケティングを主導するマネジメントは演繹法、イノベーションを主導するリーダーシップは帰納法によって実施される」と書いたことがあります。マネジメントには「こうすれば上手くいく確率が高い」とされる原理原則があり、それに従うことが定石であるのに対し、リーダーシップの場合は現場を見て新しい変化に気づき、そこから革新的な原理原則を自ら打ち立てることが重要であると思ったからです。

しかし、本書を読んで、僕の考えは不十分だったと反省しました。マネジメントには、「現場主義」、「歩き回る経営(MBWA:management by walking around)」という言葉があるように、顧客が製品・サービスを実際に使用する現場や、製品・サービスが実際に生産・開発・提供される現場をマネジャーがくまなく観察し、そこから得られた知見・洞察をマネジメントにフィードバックすることがよしとされます。この点で、マネジメントは帰納思考です。

他方、リーダーシップの場合、現場を見ることはあっても、現場を見すぎてはいけないのです。現場を見すぎると、アイデアが過去に引っ張られたものになってしまうためです。現場からの情報は本当に重要と思える最小限のものにとどめ、あとはリーダーの世界観や信念、リーダーがアクセス可能な技術などを総合して、どうすれば世界を一変させられるか?とコンセプトを練り上げていきます。だから、リーダーシップは演繹思考だと言えます。

イノベーションの研究には、国ごとのイノベーションの違いを説明するものとして、NIS(ナショナル・イノベーション・システム)という考え方があります。NISには大きく「リベラル型」と「調整型」があり、リベラル型のNISを持つ国はラディカルなイノベーションに強く(つまり、世界を一変させるような革新的なイノベーションに強く)、調整型のNISを持つ国はインクリメンタルなイノベーションに強い(つまり、製品・サービスの漸次的改良に強い)とされます。

<リベラル型>
・外部労働市場が発達し、企業は労働市場から必要とする人材の調達を行う。
・企業の資金調達では、直接金融が支配的であり、株主がガバナンスにおいて重要な役割を担っている。
・参入や退出が比較的頻繁であり、企業は需要の変動に合わせて経営資源の柔軟な調達や整理を行う。

<調整型>
・企業内部の労働市場が発達し、企業は社内で人材を育成し、競争させ、必要な人材を登用する。
・企業の資金調達では、間接金融が重要な役割を果たしており、銀行がガバナンスにおいて重要な役割を担っている。
・参入や退出が比較的まれであり、企業は短期的な需要の変動に合わせて、経営資源の調達・整理は行わない。

(※)清水洋『イノベーション』(有斐閣、2022年)より。

アメリカのNISはリベラル型、日本のNISは調整型です。リベラル型では「直接金融が支配的」だとあるように、アメリカではVCがイノベーションの創出に大きな役割を果たしています。著者は、イノベーターが演繹思考であるだけでなく、イノベーターに資金を供給するVCもまた演繹思考でなければならないと説きます。

調整型の日本の場合、資金調達の手段は間接金融が中心です。しかし、銀行は失敗を恐れ、リスクを取らない組織の代表例のようなものです。よって、銀行のガバナンスによってラディカルなイノベーションが生まれることはほとんど期待できません。

もちろん、アメリカのVCを真似して日本でもVCを増やそうとする動きはあります。とはいえ、本書でも書かれているように、元々日本のVCは、銀行が融資を嫌がるようなリスクの高い中小企業を救済することを目的として作られたものです。したがって、日本のVCはより失敗を避け、ちょっとでも成功・リターンが得られればそれで満足してしまう傾向があります。

ここに、東証マザーズ(現グロース市場)の上場基準の緩さが重なることで、日本では小粒なイノベーションしか生まれなくなっています。日本政府はユニコーン企業、つまり設立10年以内に時価総額10億ドルを実現するスタートアップを多数輩出しようとしていますが、10億ドル程度では世界的に見て小粒なのです。

では、世界を一変させるようなコンセプト、言い換えれば、時価総額が兆単位に上るような事業のコンセプトはどうすれば生まれるのでしょうか?

以前の記事「【要約・感想】西山圭太『DXの思考法』―世界はミルフィーユ化するという独創的な1冊」でも書きましたが、イノベーションを起こすには、「この手を打てば、今目の前にある具体的なもの以外のものも含めて、何でも処理・解決できてしまうのではないか?」という抽象化の発想がカギを握ると考えられます。エイダ・ラブレスに始まり、アラン・チューリング、クロード・シャロンらコンピュータを生み出した人々に共通して見られた発想です。

伝統的なマーケティングでは、市場をセグメンテーションし、ターゲットを絞り、ターゲットの具体的なニーズ、困りごと、問題意識に焦点を当てて、製品・サービスを開発します。しかし、イノベーションの場合は市場のセグメンテーションなどしません。全世界がターゲットです。そして、世界にある様々なレベル感の異なる問題(まだ見ぬ問題も含めて)を、この一手によって全てきれいに解決できるというコンセプトを打ち立てます。それが受け入れられれば、世界中のユーザを惹きつけ、兆単位の時価総額が実現されます。今、生成AIの世界で起きていることがまさにそれです。

従来型の帰納思考型の経営に対して、演繹思考型の経営は破壊的です。今後は、両者の対立によって、分断が深まると著者は予想しています。

世界は、進化を加速させる人たち(主に演繹思考の人たち)と既存の価値観を守ろうとする人たち(主に帰納思考の人たち)のデバイド(分断)が進みます。

演繹思考の人たちは、AIを活用することによって仮説検証のプロセスを効率よく進めることができるので、先の見えない未来をより果敢に進むことができます。それにより演繹思考の人たちの成功が期待できるのです。帰納思考の人たちは、演繹思考の価値を認めない限り、日本自体の地盤沈下と共に停滞してしまう危険があります。(p333-334)

イノベーションが直撃した従来型の企業が取り得る選択肢は3つあると僕は考えます。1つ目は「抵抗」です。イノベーションという逆風にまともに立ち向かっていきます。しかし、イノベーションがやがて自社の市場を吹き飛ばすことは目に見えているので、市場から最後の収益を刈り取りながら、戦略的に事業を縮小し、最終的には撤退するのが賢明です。こうした撤退戦略については、戦略論の大家マイケル・ポーターが詳細に論じたことがあります。

2つ目は「逃避」です。イノベーションとの正面衝突を避け、自社の強みを活かして別の新規事業を立ち上げることを指します。富士フイルムがデジタルカメラの登場によってフィルム事業に見切りをつけ、自社技術を活用して化粧品事業に進出したのは有名な話です。中小企業で言うと、EV(電気自動車)の影響でガソリン車向けの部品製造が危機に直面した企業が、自動車と同等かそれ以上に高い精度が求められる医療分野に自社の強みを展開したという例もあります。

僕はここに第三の選択肢として「探索」を加えたいと思います。これは、イノベーションに立ち向かうのでも、イノベーションから逃げるのでもなく、「イノベーションと仲良くする」という戦略です。

抽象論になりますが、①まずは脅威と思えるイノベーションを自社に組み込み、使ってみる。②そこから見えてくる新しい価値を発見する。③その価値に反応しそうな新しい顧客を探し出す。④顧客に価値を提供する新しいビジネスエコシステムを形成する、という流れになります。この流れは計画や合理性によって制御できるものではありません。多分に運や偶然が作用し、直感による意思決定がものを言うはずです。

僕の知り合いに、営業向けの研修を提供している企業があります。しかし、営業職は生成AIによって将来的に大半が消滅すると言われている職業です。営業職が消えたら、研修会社も消える運命にあります。そうならないよう、この企業では現在①に取り組み、探索的な活動を積み重ねているところです。

この「探索」とは、僕がしばしば主張している「新しい日本的経営」のことです。帰納思考と演繹思考の間に「新しい日本的経営」を挟むことで、著者が予想するような分断を緩和することができるのではないかと期待しています。

著者は演繹思考の重要性を説きますが、僕は演繹思考は誰しもができるものではないと感じています。かと言って、帰納思考のまま、地盤沈下に巻き込まれるのはあまりにも危険です。演繹思考にまでは至らなくとも、もう1つの道として「新しい日本的経営」を用意しておくことは、少なからぬ日本人にとって救いになるのではないでしょうか?