自己紹介

今さらながら改めて自己紹介をしたいと思います。谷藤友彦(やとうともひこ)と申します。初見だと「たにふじ」とか「たにとう」とか言われますが、「やとう」ですので覚えていただけると嬉しいです。

現在の僕の仕事は主に3つあります。1つ目は「シャイン経営研究所」という個人事務所の代表です。事務所を開いてから今年(2025年)の7月で丸14年になります。中小企業・小規模事業者向けの経営コンサルティングサービスを提供しており、事業戦略立案、Webマーケティング、営業力強化、人材開発などを得意としています。

2つ目は「荒川区にぎわいコーディネータ」です。これは、東京都荒川区役所の非常勤職員みたいなものです。2019年4月に始めたこの仕事も7年目に突入しました。区内で商業・サービス業を営む中小企業・小規模事業者を対象に、荒川区が独自に実施している補助金への申請をお手伝いする他、最近では新規事業立ち上げや新規顧客開拓に関するアドバイスもしています。

3つ目は「東郷商事有限会社の経営企画担当」です。東郷商事は、茨城県土浦駅西口近くで「東郷ビルぷらっと」という商業ビルを運営・管理している企業です。以前から同社の顧問を務めていましたが、この5月から中の人として経営企画を担当することになりました。駅周辺の商業ならびに地元住民の生活の活性化に貢献できればと思っています。

僕は2007年から中小企業診断士でもあります。最近でこそ20代で診断士になる人が増えたものの、僕が診断士になった頃は20代の診断士が非常に珍しい存在でした。あれから約18年、診断士として様々な経験を積む中で、心がけるようになったことが3つあります。

まずは、「社長を否定しないこと」。稀に、社長の言動を否定して社長を正すことがコンサルティングの仕事だと誤解している診断士がいます。しかし、社員を抱え、リスクを取って事業を営んでいる社長には敬意を払うのが適切だと思います。社長が「やりたい」と言ったことを、(よほどおかしなことでない限り)何とか実現できる方向に持って行く、というのが僕のスタンスです。

次に、「クライアントを指導しないこと」。僕は「経営指導」という言葉が嫌いです。こちらが正解を持っていて、それを相手に上から目線で押しつける印象があるからです。実際には、中小企業の経営は百社百様で、あらゆる企業に共通する万能な解など存在しません。僕は、その企業に合った最適解を、たとえ手間がかかったとしてもその都度クライアントと一緒に練り上げるようにしています。

そして、これが他の独立診断士と大きく異なる点ですが、僕は「補助金ビジネスをしていません」。補助金ビジネスとは、国などが実施する大型の補助金の申請代行をして、交付された補助金の10%程度を成功報酬として中小企業から徴収するビジネスのことです。10枚程度の事業計画書を書いただけで、簡単に100万円単位の報酬が手に入るこのビジネスは、コンサルタントとしてのスキルが大して上がらない毒まんじゅうだと考えています。

(念のため補足すると、荒川区にぎわいコーディネータの仕事として行っている補助金の申請支援は、補助金ビジネスではありません。申請する中小企業・小規模事業者からは報酬をいただいていません。あくまでも、荒川区役所が僕に対してお給料を支払っています)

僕ももう40代になりましたが、ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。まず、20代半ばで転職したベンチャー企業で手痛い失敗をしました。このベンチャー企業は、大手コンサルティングファーム出身者が立ち上げた企業で、大企業向けの経営コンサルティングと教育研修事業を展開していました。

2人の共同経営者がともに東大法学部卒であり、社員にも東大、京大、早稲田、慶応卒など高学歴の人がたくさんいました。それなのに、僕が在籍していた約5年半のうちに、一度も黒字になることはありませんでした。一番ひどい年は、売上高約1.5億円に対し、営業損益が7,000万円超(700万円ではない)だったと記憶しています。研究開発型で投資が先行する企業ではないにもかかわらず、です。

このベンチャー企業からは、「頭がよいだけでは経営はできない」ことを学びました。企業を動かすのは結局のところ人です。そして、人には感情があります。人の気持ちを理解し、気持ちに寄り添い、共感し、コミュニケーションを通じて信頼を積み重ねていくことで、ようやく人は動くのです。

そのベンチャー企業を退職して診断士として独立した後、別のベンチャー企業と一緒に仕事をしたことがありました。資格学習のeLearning事業を新たに立ち上げるというもので、僕は動画で使用する講義資料の作成と講師を担当しました。ほぼ2年間フルコミットし、3,000枚以上パワーポイントの講義資料を作った果てに、僕の手元に入ったのはわずか100万円でした。当時の貯金は溶けてしまいました。

実は、このベンチャー企業と最初に契約を交わした段階で、僕は致命的なミスを犯していました。「eLearning事業の売上の10%が成功報酬として僕の収入になる」という契約だったのです。どう考えても、10%は安すぎました。それに、僕が請け負ったのはコンテンツ開発だけでしたから、成功報酬という形でこの企業と運命共同体になるような契約はするべきではありませんでした。この仕事から、「自分を安売りしてはならない」ということを学習しました。

プロフィール欄にも書いている通り、僕は双極症(Ⅱ型)を抱えています。20代半ばで転職したベンチャー企業に勤めていた頃に発症したもので、もう病気との付き合いは17年ぐらいになります。ここ数年ようやく気分の波が穏やかになりましたが、30代は常にイライラを感じているような状態で、そのイライラで憔悴すると精神科に入院する、ということを繰り返していました。入院回数は実に5回に上ります。

イライラの原因は、僕の完璧主義にありました。まず、相手に完璧を求める。しかし、相手はその完璧に応えてくれない。それでイライラする。相手が完璧でないならば、せめて自分が完璧になって見本を見せてやろうとする。ところが、自分もまた完璧にはなれない。だから余計にイライラする。そして、焦りばかりが募って、ある日突然緊張の糸が切れる、といった具合でした。

さすがに5回も入院したので僕も反省して、「自分にも他人にも期待しすぎない」ようになりました。他人がミスをしても、「そんなものだ」と受け止めることができるようになりましたし、自分に対しても「もっとできるはずなのに」とプレッシャーをかけることが少なくなりました。

僕は30代の後半に離婚も経験しています(現在は再婚しています)。今振り返ると、当時のパートナーとは一種の「共依存」状態になっていました。自分が献身的に世話をしなければ、パートナーは生きていけないと思い込んでいました。パートナーが僕に依存していると同時に、依存されていることに僕が満足を覚えることで、僕自身もまたパートナーに依存していたのです。

ところが、パートナーには別に僕がいなくても十分に生きていくだけの力がありました。パートナーがそのことに気づいた時、結婚生活は破綻しました。共依存は人間関係の病理です。現在の結婚生活では、「パートナーを自立した存在として見る」ようにしています。

色々な失敗を経て、最近の僕がよく口にしているのが「新しい日本的経営」という言葉です。経営学は、マネジメントの父であるピーター・ドラッカーに始まり、『ビジョナリーカンパニー』シリーズで知られるジム・コリンズによっていったん完成したと僕はとらえています。

この系譜に並ぶ経営を僕なりに整理すると、創業者や経営者が原体験に基づいて明確な経営理念を掲げ、その理念を実現するために組織としての強みを獲得し、理念の実現に向けた合理的・論理的な戦略を立案して、計画的に戦略を実行する、というものになります。これを「伝統的経営」と名づけましょう。

しかし、僕は「伝統的経営」が経営の全てではないと思うようになりました。とりわけ、中小企業・小規模事業者には「伝統的経営」の適用が難しいと感じることも少なくありません。「伝統的経営」は市場で圧倒的な勝利を収め、偉大な企業になるための経営ですが、全ての中小企業・小規模事業者がそれを目指しているわけではありません。むしろ、「伝統的経営」とは異なる方法で、「せめて負けない程度の経営」を志向していることも多々あります。

「新しい日本的経営」の詳細は別の機会に譲るとして、その特徴を簡単に列挙すると、①明確な経営理念や強みがなくても、②自分にできることや手持ちの手段から出発し、③人との相互作用から生まれる運や偶然を活かし、④直感、身体知、冗長性を大切にするような、⑤脱目的的な幸せの経営、となります。

「伝統的経営」とは、並々ならぬ苦労の果てに偉大な成果を手にした時に初めて喜びが得られる経営ですが(そして、苦労したのに偉大になれないリスクもある経営ですが)、「新しい日本的経営」とは、仕事をしていること、経営をしていること自体が喜びであり幸せと感じられるような経営のことです。これは、どちらがより優れているということではありません。どちらもあってよいものです。ちょうど、ユークリッド幾何学に対して非ユークリッド幾何学が存在するようなものです。

今後は、生活の拠点がある茨城県土浦駅周辺で「新しい日本的経営」を実践し、土浦の幸せを増やしていきたいと考えています。

最近は、ある古民家カフェで定期開催される読書会に参加し、そこから派生したフリーペーパーの編集にも携わるようになりました(読書会からは、さらに別の新しい活動が次々と派生しつつあります)。また、まちづくりの勉強会にも関わり、土浦の空き地、空き家、空き部屋の活用についても検討を始めています。これらの動きは、「新しい日本的経営」のようなアプローチを取っているという点で、非常に楽しみながら行うことができています。ゆくゆくは、東郷商事としても「新しい日本的経営」に基づく新規事業を立ち上げてみたいものです。