街場の日韓論(ブログ用)
《要点》
【まえがき(内田樹)】
◆今の日韓関係については、誰か賢い人に「正解を示してください」とお願いするよりも、忍耐強く、終わりなく対話を続けることのできる環境を整えることの方がむしろ優先するのではないか?クリアーカットであることを断念しても、立場を異にする人たちにも「取りつく島」を提供できるような言葉をこそ選択的に語るべきではないのか?

【二人の朴先生のこと(内田樹)】
◆1948年の大韓民国建国直後に制定された「国家保安法」は、戦前日本の治安維持法に類する法律で、北朝鮮と共産主義を賞賛する行為およびその兆候を”今でも”取り締まりの対象としている。そのため、マルクス主義の受容において、日韓では信じられないほど大きな差がある。

マルクス、エンゲルス、レーニンについての書物的知識が欠如していると、20世紀のヨーロッパ思想の多くについて、理解が困難なものとなる。現代韓国の知識人は、1945年の「解放」から1987年の「民主化」までの40年間、マルクス主義に涵養された欧米の社会学系諸学にリアルタイムで接した経験がない。つまり、ルカーチのマルクス主義、フランツ・ファノンの民族解放論、サルトルの実存主義、バルトの記号論、フーコーの知の考古学、レヴィ=ストロースの構造人類学、ラカン派精神分析、レヴィナスの他者論、デリダの脱構築などに触れることがほぼ不可能だったのである。

【私が大学で教えている事柄の断片(平田オリザ)】
◆韓国には文化観光体育部という独立した省庁があり、巨大な予算を持っている。その数字はGNP比で日本の約10倍と言われており、近年ついにフランスを抜いて、予算面だけを見れば世界一の文化大国となった。

なぜ韓国はこんなにも文化予算が多いのか?分断国家ゆえに、国のアイデンティティを明確に国外に示さなければならないから、重厚長大産業による高度経済成長からクリエイティビティに基づく安定成長へのソフトランディングを図るためなど様々な理由が考えられる。しかし、最も重要な理由は「日本が35年の植民地支配の中で、言葉や文化を奪ったから」である。長年の歴史の中で外国に言葉や文化を奪われた経験がない日本には、この点が解らない。

【歴史意識の衝突とその超克(白井聡)】
◆朝鮮戦争こそ、戦後日本の「国のかたち」を決めた出来事であった。それは「戦後の国体(戦前の天皇制国家体制の構造が、敗戦を機にその頂点を天皇からアメリカへと入れ替えながら生き延びてきた)」の歴史的起源に他ならない。

A級戦犯として拘束されていた岸信介が不起訴となり釈放され、サンフランシスコ講和条約の発効とともに公職追放解除、短期間のうちに保守陣営のキーマンとなっていった背景には、朝鮮戦争の勃発があった。岸信介の孫である安倍晋三にとっては、現在の体制が朝鮮戦争を契機として形成されたものである以上、朝鮮戦争の終結は現体制の正統性を直撃するのであり、「断じてあってはならない」。

【韓国は信頼できる友好国となりえるか?(渡邊隆)】
◆軍・軍関係は、その時の政府の関係や経済活動とは一線を画したものであるべきだ国家にとっての暴力装置と定義される軍隊には政治的な中立が求められ、国内外の政治的対立からは一定の距離を置くべきとされている(客体的シビリアンコントロール)。しかし、日韓における軍事交流は、今のところ国民感情に大きく影響されている状況である。

友好国はもちろん、敵対国であっても相互理解を深めることは、「抑止」を向上させる効果があり、一国の安全保障のために極めて重要である。同盟国・友好国同士であればお互いの信頼を醸成することで同盟の信頼性が増す。利害を異にする国同士であれば、不測の事態による偶発的なミスを最小限にする努力が必要である。

【隣国を見る視点(中田考)】
◆短期的に見れば、政治とはカール・シュミットが指摘したように「友・敵」区別から成り立っている。ナショナリズムを本質とする領域国民国家システムにおいては、同じネーションだけが「友」であり、その他の国民国家は全て「敵」である。しかし、中長期的には、多民族・多宗教であるアジアや中東とは「相性が悪い」ナショナリズムと領域国民国家システムは解体過程にあり、中国、ロシア、中東などでは文明・帝国の復興と再編となって顕在化しつつある。東アジアの文脈では、それは中華秩序の復興を意味する。

多民族・多宗教の「同床異夢」による曖昧で緩やかな共存が前近代の帝国の特徴であったが、それを制度的に可能にすることが中華秩序の復興の狙いである。日韓関係の未来は、新しい中華秩序の構想の中で考えるべきである。つまり、アメリカの武力を背景に、東アジアの「自由民主主義国家」である日本、韓国、台湾が緩やかな連邦を組んで、覇道の中国と勢力均衡を図り、長期的には徳治の王化によって王道に戻すことが目標となる。

【炎上案件に手を出す者は、必ずや己の身を焦がすことになる(小田嶋隆)】
◆日韓関係について知識を持ち合わせていない著者は、当初本書の原稿を書くことをためらった。そこで、「日韓関係を微妙に炎上させるネタを書いて、その結果、原稿が丸ごとボツになった」という噂をSNSで広めて本書への関心を引くことで、本書の売上に貢献する案を思いついた。しかし、「韓国人ならびに在日韓国人が腹を立てる一方で、日本人は大して気にもとめないようなジョーク」とは、「差別」それ自体であることに気づき、取りやめた。

日韓問題を解決に導くものがあるとすれば、それは「時間」ということになるだろう。ところが、「解決」の主体が「時間」である場合、その解決には一切の人間力の関与が働いておらず、本当の意味での「解決」ではない。ということは、「時間が解決する」という言い方は、「解決不能」であることを物語っていることになる。

【東アジア共同体をめぐる、ひとつの提言(鳩山由紀夫)】
◆「無限責任論」(元々は、内田樹が提唱したもの)とは、かつて日本が朝鮮半島などを植民地とし、また中国などに侵略行為を行って多くの一般人に多大な苦痛を与えたことを認め、相手がもうこれ以上謝らなくてもいいと理解してくれるで、謝罪する気持ちを持ち続けなければならない、という考え方である。

安倍政権はアメリカの依存の下ではあるが、大日本主義の復活への道を歩んでいる。その1つ1つを再点検し、諸外国の懸念を払拭しなければならない。今こそ、東アジア共同体を実現すべき時である。EUの原点となった、クーデンホフ・カレルギーの友愛精神を参考にしなければならない。

【韓国のことを知らない日本人とその理由(山崎雅弘)】
◆『地球の歩き方 韓国(2020)』(ダイヤモンド・ビッグ社)には、本来ガイドブックにあるはずの重要な博物館、すなわち大韓民国歴史博物館、安重根義士記念館、西大門刑務所歴史韓といった、日本統治時代に日本が朝鮮で何を行ったかを教えてくれる施設の名前が載っていない。また、同書の「韓国がわかる人物・用語集」には、安重根や閔妃といった名前もない。

日本には、過去の歴史を「知らせない努力をする」人がいる。日韓関係が悪化することで利益を得る受益者がいる限り、近い将来に関係が大きく改善される見込みは薄い。現体制とその支持勢力がそうした受益者集団に属しているならば、なおさら早期の関係改善は期待できない。だが、それでも日本の将来のためには、最も近い隣国・韓国との関係を改善する努力を続けないといけない。

【植民地支配の違法性を考える(松竹伸幸)】
◆徴用工問題をめぐる韓国大法院判決では、日韓請求権協定に基づいて徴用工の(未払賃金などの)請求権は既に満たされたと明確にされている。しかし、「違法な植民地支配」と結びついた新たな(慰謝料の)請求権という、請求権協定では想定されていない別種の個人の請求権が創造された。この点に、日本は戸惑っている。

植民地支配の違法性は、安倍政権だけでなく、植民地支配に対するお詫びの姿勢を表した村山政権も実は認めていない。さらに言えば、世界的に見ても、欧米諸国は植民地支配の謝罪や補償を考えていない(2001年、南アフリカのダーバンで開かれた世界会議でも、奴隷制は「人道に対する罪」と認められたのに、植民地主義はそのような罪と認められなかった)。植民地支配の違法性を認めさせるには、世界を相手にした戦いが必要となる。

【卵はすでに温められている(伊地知紀子)】
◆植民地支配の被害は、朝鮮の解放によって終止符を打つのではなく、被支配とは何だったのかをそれぞれが身をもって問い続けることを課す。では、敗戦後であれ加害者側の人間である私(※著者)に、どのような応答ができるのだろうか?応え続けること、である。問われれば可能な限り答え、解らなければ調べ、機会を得られれば学びに出かけ考える。それは書物によるものにとどまらない。

日本の植民地責任に関わる運動を作ってきた先達は、決して高潔ぶる人々ではなかった。自らの至らなさや失敗を伏し目がちに開示し、戸惑い立ち止まることを非とせず、多様な人々と集う楽しさや哀しさを全面展開する。そんな動的な共同体の営みが、正しさを追求せず結論を焦らず、何事もまずは引き受け、とりあえずの落としどころを生み出すというありようになってきたのではないか?市民運動は1つの実験なのだ。

【見えない関係が見え始めたとき(平川克美)】
◆日本人に内面化し、今も続いている差別意識はどこから来るのか?基地問題に典型的なように、アメリカに政治的決定権を握られ続けていることに対する屈辱感を合理化するには、どこかで日本がアメリカと同様の政治的優位性を保つことで平仄を合わせる必要があった。つまり、1人の人間の中に劣等感と優越感が同時に存在している。これが1つ目の見えない関係である。

もう1つの見えない関係とは、アジア占領時代に日本が行った残虐行為に対して、1人1人が向き合うことをしないまま、うやむやにしてきたことから来る罪悪感であり、アジアからの復讐に対する恐怖心である。その恐怖心から一部の日本人に差別的行動が生まれると、集団的なヒステリーによる同調圧力に屈服して、日本人全体が差別意識を持つようになる。こうした「病」を克服していくことが、人間的成熟というものである。

《感想》
本書は、思想家である内田樹氏が日韓関係をテーマに編集したアンソロジーです。

今年(2025年)は、戦後80年にあたる年でした。メディアでは戦後80年特集が組まれ、とりわけ広島・長崎の原爆被害にフォーカスした報道が多く見受けられましたが、朝鮮半島の植民地支配やアジア侵略に触れるものはほとんどなかったように感じました。日本がアジアに与えた苦痛には目をつぶって、まるで日本こそが被害者であるかのような偏向報道にはどうも首をかしげざるを得ません。

原爆に関しては、韓国では違った反応が見られます。緒方義広『韓国という鏡』(高文研、2023年)ではこのように書かれています。

広島平和記念資料館を訪れた韓国の人々の間からは、展示に違和感を覚えたという話がよく聞かれるという。展示を見て不快感を顕わにしたり、怒り出す人もいたりすると聞く。『日本は世界で唯一の被爆国である』という被害者性の強調に強い違和感を覚えるというのだ。(中略)

韓国の人々にとって日本という国は被爆国である以前に、朝鮮半島を植民地支配し、あらゆる資源を収奪した帝国主義の過去を持つ国である。(中略)日本による植民地支配という加害性がないがしろにされることは、韓国の人々にとっていかなる理由によっても受け入れがたいことなのだ。(p109)
今春入社した時事通信社の20代の新人記者3人が、東京・渋谷で15~25歳の100人にアンケート調査を行った結果、8月15日が「終戦の日」だと知っていたのは61人で、約4割が終戦の日を知らないという驚きのニュースもありました(JAMPポータル「終戦の日、4割知らず=半数「いま平和」、将来懸念8割―渋谷で若者100人アンケート」(2025年8月16日))。

この調査では日本の対戦国(複数回答)も尋ねていて、アメリカと回答したのが71人で最多ということでした。つまり、アメリカと戦争をしたことを知らない若者も3割ほどいるのです。太平洋戦争については小中学校の歴史教育で取り上げられる機会があり、メディアも一定量の報道を行っているにもかかわらず、この有様です。だとすると、日本がかつて朝鮮半島を植民地支配したとか、アジア侵略を行ったということを知らない若者はもっと多いに違いありません。

山崎雅弘氏は本書の「韓国のことを知らない日本人とその理由」の中で、日本にとって都合の悪い歴史を「知らせない努力」をしている勢力の存在を暗示しています。

『地球の歩き方 韓国(2020)』(ダイヤモンド・ビッグ社)には、本来ガイドブックにあるはずの重要な博物館、すなわち大韓民国歴史博物館、安重根義士記念館、西大門刑務所歴史韓といった、日本統治時代に日本が朝鮮で何を行ったかを教えてくれる施設の名前が載っていないと言います。また、同書の「韓国がわかる人物・用語集」には、安重根や閔妃といった名前もないそうです。誰かが、こうした事項を載せるなと圧力をかけている疑いがあるのです。

現代はグローバル化が進み、多民族が共存しようという多様性の時代です(世界のリーダーであるアメリカでは、多様性を否定したがるトランプ大統領がトップに立っていますから、多様性重視の考え方も危機に瀕しているのですが)。しかし、朝鮮半島では、同一民族が半世紀以上にもわたって対立し、お互いを憎しみ合っています。これは悲劇と言うしかありません。

もし日本が朝鮮半島を植民地支配していなかったら、太平洋戦争で日本が敗戦した後に朝鮮半島が空白地帯となり、そこにアメリカと中国・ソ連が流れ込んで朝鮮戦争が勃発し、半島が分裂することはなかったでしょう。そう考えると、現在の韓国VS北朝鮮の構図を作った原因は日本にあるとも言えなくはないのであり、個人的には非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

朝鮮半島を植民地支配していた間に、日本は朝鮮半島の言語や文化を奪いました。言語や文化を奪われるというのは、自らのアイデンティティを失うに等しいものです。そのアイデンティティを回復するために、韓国は国を挙げて自国の文化を育成し、グローバル展開をしているのだという平田オリザ氏の「私が大学で教えている事柄の断片」は、特に日本人がK-POPや韓流ドラマ・映画をただ面白い、素敵だと言って刹那的に消費するだけではいけないことを教えてくれます。

朝鮮半島がイデオロギーによって分裂していることは、現代韓国の思想的成熟にもマイナスの影響を及ぼしています。内田樹氏は、「二人の朴先生のこと」の中で、韓国に今でも存在する「国家保安法」(日本の治安維持法にあたる法律)のせいで、マルクス主義の受容において、日韓では信じられないほど大きな差があることを指摘しています。そして、マルクス、エンゲルス、レーニンについての書物的知識が欠如していると、20世紀のヨーロッパ思想の多くについて、理解が困難なものとなると言います。

現代韓国の知識人は、1945年の「解放」から1987年の「民主化」までの40年間、マルクス主義に涵養された欧米の社会学系諸学、つまりルカーチのマルクス主義、フランツ・ファノンの民族解放論、サルトルの実存主義、バルトの記号論、フーコーの知の考古学、レヴィ=ストロースの構造人類学、ラカン派精神分析、レヴィナスの他者論、デリダの脱構築などに触れることがほぼ不可能だったのです。

植民地支配時代に言語と文化を奪われただけでなく、現代においてもなお韓国の思想的発展が妨げられているという事実を知って、僕は心が痛みました。

朝鮮半島でこれほど長期にわたって民族の分裂が固定化されている背景には、日本国内に朝鮮戦争を終わらせたくない勢力がいるためだとする白井聡氏の「歴史意識の衝突とその超克」は衝撃的でした。

かつて岸信介はA級戦犯として拘束されていましたが、不起訴となり釈放され、サンフランシスコ講和条約の発効とともに公職追放が解除されました。その後、短期間で保守陣営のキーマンとなっていった背景には、朝鮮戦争の勃発がありました。GHQ内の反共軍事要塞化の推進派が岸信介を利用したためです。岸信介の孫である安倍晋三にとっては、現在の体制が朝鮮戦争を契機として形成されたものである以上、朝鮮戦争の終結は体制の正統性を直撃するのであり、「断じてあってはならない」のです。

安倍晋三が朝鮮戦争の終結を嫌っていたことは、拉致問題に対する態度を見ても解ります。安倍晋三は、①拉致問題は我が国の最重要課題である、②拉致問題の解決なくして、日朝国交正常化なし、③拉致被害者は全員生存している、被害者全員の奪還を求める、という「安倍拉致三原則」を掲げ、拉致問題の解決に全力に取り組んでいるように見せかけていました。

ところが、2002年の小泉純一郎訪朝時に北朝鮮が死亡したと報告した拉致被害者8人について、「死んだという確たる証拠がないから全員生きているはずだ、全員を奪還する」と主張するのは論理飛躍であって、日朝間の交渉を困難なものにしてしまいます。むしろ、安倍晋三の狙いは国民受けのよいパフォーマンスを続けながら、北朝鮮との国交正常化を自ら阻むことだったのでしょう。この辺りの事情については、長年拉致問題の研究に取り組んでいる和田春樹氏の『北朝鮮拉致問題の解決―膠着を破る鍵とは何か』(岩波書店、2024年)に詳しく書かれています。

僕は拉致問題に関して全くの素人ですが、北朝鮮が国家的に拉致を遂行し、さらに隣国にとって脅威となるミサイルを連発するようなならず者国家になったのは朝鮮戦争が原因であり、さらにその朝鮮戦争の原因は何かと遡っていくと、前述のようにやはり日本の植民地支配がその一端を担っているとの考えに行き着きます。すると、時系列的には、まずは日本が北朝鮮に対して謝罪をし、過去の清算をすべく国交正常化を行うのが先で、その後にようやく拉致問題を議論できるのではないかと思います。

和田春樹氏も前掲書で次のように述べています。
オバマ大統領が2014年にキューバとの国交樹立ののちに関係正常化交渉を開始するという大逆転の行動をとった例にならって、思い切って、日朝平壌宣言にもとづいて北朝鮮と国交を樹立した上で、拉致問題の交渉、核・ミサイル問題=安全保障問題の交渉、過去の植民地支配に対する償いとしての経済協力に関する交渉を、東京と平壌の大使館で開始するのが現実的ではなかろうか。(p115)
10年ほど前、僕はブログで朝鮮半島の今後のシナリオについて書いたことがあります。①韓国が北朝鮮を併合して資本主義国家が誕生する、②北朝鮮が韓国を併合して社会主義国家が誕生する、③現在の対立構造が温存される、という3つのケースです。

日本にとっては、韓国が反日という共通点で北朝鮮の傘下に入り、朝鮮半島にウルトラ反日かつ社会主義国家が誕生することが大きなリスクです。そうなるぐらいなら、③のように現状維持の方がましだと結論づけたのですが、これは日本の都合しか考えない身勝手な話だったと今では反省しています。朝鮮半島が民族の悲劇を乗り越えられるよう日本が積極的な役割を果たすことこそ、日本の責任です。

…とえらそうなことを書いているものの、果たして日本人の1人として自分には一体何ができるのだろうか?と考えると、途端に筆が止まってしまいます。僕にも韓国人の友人・知人が何人かいますが、彼ら彼女らに対して歴史問題の話をこちらから切り出すことをどうしてもためらってしまう自分がいるのも事実です。今までの良好な関係が崩れてしまうのではないか?と恐怖が先行してしまいます。

とはいえ、お互いによいところばかりしか見せ合わない関係は、きっと不健全なのでしょう。成熟した友情とは、こちらの弱みを見せ、それによって相手を怒らせることがあっても相手をどうにか引き留め、対話を重ねてこちらの弱みを相手に受容してもらうというプロセスを経ることで得られるのかもしれません。葛藤のないところに真の友情は成立しないのです。それは時に苦しいでしょうが、お互いのよいところしか見ない表面的な友情より、総合的にはずっと楽しいはずです。