マネジメント(中)(ブログ用)
《要点》
◆ヘンリー・フォードの失敗が教えるのは、マネジメントとは組織に不可欠の機能、機関、構造だということである。法律的には、マネジメントは所有者から移譲された権限として解されている。しかし、実際にはマネジメントは所有権に優先しつつある。

従業員の数が300人から1,000人の間でマネジメントは必須となる。しかし、重要なのは複雑さの度合いである。多様な仕事が、協力して意思を疎通させ同時に遂行される必要が出てきた時、組織はマネジメントを必要とする。

【Ⅰ.マネジメントの仕事】
◆マネジメントは「人の仕事に責任を持つ者」ではなく、「組織の成果に責任を持つ者」である。そのマネジメントは、①部分の総和よりも大きな全体を生まなければならない、②短期と長期をバランスさせなければならない、という2つの課題に直面する。

マネジメントの仕事は多岐にわたるが、共通するのは以下の5つである。①目標を設定する、②組織する、③チームを作る(動機づけを行い、コミュニケーションを図る)、④評価をする、⑤人材を育成する。これらの仕事は学ぶことができる。ただし、真摯さだけは最初から身につけていなければならない資質である。

◆マネジメントという仕事を設計するにあたって、6つの過ちを犯しがちである。①仕事を狭く設計し、人が仕事で成長するのを妨げてしまう、②直接の貢献がない補佐の仕事をあてがってしまう、③マネジメントが自分の仕事を持たない、④会議や調整を常に必要とするように、最初から人間関係を織り込んでしまう、⑤報奨の不足を肩書で補ってしまう、⑥「後家づくり」の仕事(=優秀な者が連続して失敗する仕事)が生まれる。

マネジメントの職務設計は、以下の4つの観点から行う必要がある。①初めに、果たすべき本来の機能を明らかにする、②次に、それを超えた「任務」=「組織全体の責任にいかなる実質的な貢献をなしうるか?」を考える、③マネジメントの仕事を、上、下、横との関係によって規定する、④さらに、マネジメントが必要とする情報とその情報の流れにおける彼の位置によって規定する。

◆意思決定が実りを結ぶまでの時間が長くなってきた。したがって、明日のマネジメントを行う者を選び、育てて、初めて我々は今日の意思決定を責任ある者とすることができる。マネジメント教育とは、仕事を生計の資以上のものにすることでもある。働く者が自らの能力をフルに発揮できるようにすること、すなわち仕事をよき人生にすることである。

マネジメント教育には、相互に関連する2つの側面がある。①まず、マネジメント開発は組織の機能を対象とする。「我が社が今日とは異なる種類の市場、経済、技術、社会において成果を上げ、目的を達成するには、明日いかなる種類のマネジメントの人間を必要とするか?」との問いかけからスタートする。

②一方、人に焦点を合わせたマネジメント教育は、人の能力と長所を最大限に発揮させ、成果を上げさせることにある。目的は卓越性にある。その人の強みを明らかにした上で、「人生に期待するものは何か?自らの価値観、願望、進むべき方向は何か?自分自身に対する要求や、人生への期待に沿って生きていくには、何を行い、何を学び、何を変えるか?」を問わなければならない。

◆あらゆる仕事が組織全体の目標に向けられなければ、成果は得られない。しかし、組織には人を間違った方向へ持って行く大きな要因が4つある。①仕事の専門化、②上司の存在、③階層の存在、④報酬システムである。

全員の目標が、組織全体の目標への貢献という形で明らかにされる必要がある。それらの目標を規定することは1人1人の責任である。ということは、自らの属する組織や部門の目標設定に参画することが、1人1人の責任だということである。自己目標管理(MBO:Management by Objectives and Self-control)の最大の利点は、自らの仕事を自らマネジメントできるようになることにある。自己管理が強い動機づけをもたらす。

◆1950年代の初め、コンピュータとオートメーションが流行した頃、ミドルマネジメントの滅亡は時間の問題とされた。しかし、実際にはミドル以上に急速に増大した労働者はいなかった。現在のミドルは、知識を供給するスペシャリストである。ミドルは、知識のスペシャリストによる知識組織へと変貌しつつある。

知識を中心とする組織では、ミドルさえ意思決定の一翼を担い、意思決定の内容を理解していなければならない。そして、権限を持たなければならない。そのミドルに対し、トップマネジメントは、年に数回は次のように言う機会を持たなければならない。

「今日は議題はない。特にこちらから話したいことがあるわけではない。意見を聞きたい。あなた方の仕事や私達の仕事について、私達が知らなければならないことは何か?問題や機会は何か?私達はあなた方の仕事の助けになることをしているか?邪魔になることをしているか?教えてほしい」

◆成果中心の精神による組織においては、真摯さを絶対視してこそ、初めてマネジメントの真剣さが示される。それは特に配置、昇給、昇進、降級、解雇など人事に関わる意思決定に現れる。真摯さを定義することは難しい。しかし、真摯さの欠如を明らかにすることは難しくない。

人の強みよりも弱みに目の行く者をマネジメントの地位に就けてはならない、②マネジメントたる者は実践家でなければならず、評論家であってはならない、③何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジメントの地位に就けてはならない、④真摯さよりも頭のよさを重視する者は、マネジメントの地位に就けてはならない、⑤できる部下に脅威を感じることが明らかな者も、マネジメントの地位に就けてはならない、⑥自らの仕事に高い水準を設定しない者も、マネジメントの地位に就けてはならない。

【Ⅱ.マネジメントのスキル】
◆「意思決定」については、日本企業から学べるところが多い。日本式の意思決定は、①何についての決定かを決めることに重点を置く。重点は答えを出すことではなく、問題を明らかにすることに置いている、②反対意見を出しやすくしている。コンセンサスを得るまでの間、答えについての議論はしない、③当然の解決策よりも複数の代案を問題にする、④いかなる地位の誰が決定すべきかを問題にする、⑤決定後の関係者への売り込みを不要にする。

意思決定は事実からではなく、意見からスタートしなければならない。そして、意見の不一致を歓迎しなければならない。対立する意見が衝突し、異なる視点が対話し、いくつかの判断からの選択があって初めて意思決定を行うことができる。時には、「そもそも意思決定は必要か?」も問わなければならない。決定を行動に移す際には、実行を誰かの仕事、責任にしなければならない。最後に、意思決定の前提を検証するために必要なフィードバックの仕組みを作らなければならない。

◆「コミュニケーション」について、我々は4つのことを学んだ。①コミュニケーションとは、相手による知覚がなければ成立しない、②コミュニケーションにおいては、相手が期待しているものを見聞きする、③コミュニケーションにあたっては、相手に対するこちらの要求がなければならない、④コミュニケーションは情報ではない。情報はコミュニケーションを前提とするが、コミュニケーションは必ずしも情報を必要としない。

これらのことから、まずコミュニケーションは上から下へと行うのではなく、下から上へと行う、すなわち、知覚する者からなされなければならないことを意味する。ここにおいて、自己目標管理こそコミュニケーションの前提となる。部下の考えが上司の期待通りであることは稀である。しかし、同じ事実を違ったように見ていることを互いに知ること自体がコミュニケ―ションである。

◆マネジメントの発展と情報処理能力の増大に伴い、「管理手段」が急速に向上しつつある。我々は、管理手段の向上をマネジメント上の方向づけの能力の向上に結びつける必要がある。

企業の管理手段には3つの大きな特徴がある。①管理手段は客観的・中立的とはならない。データを取る行為は、データを取られる対象とデータを取る者を変える。意味と価値を賦与する、②管理手段は成果に焦点を合わせなければならない。企業の内部にあるコストセンターに関する管理に加えて、企業の外部に成果をもたらす企業家的な活動についても管理しなければならない、③管理手段は、人材育成のように、極めて重要でありながら定量化できないものについても必要である

◆「マネジメント・サイエンス」には大きな期待が寄せられたが、思った通りの成果を上げられずにいる。その原因は、マネジメント・サイエンスが企業とは有機的なシステムであることを忘れている点にある。マネジメント・サイエンスは学問としての公準を確立しなければならない。

だが、マネジメント側にも原因がある。マネジメントはマネジメント・サイエンスに対して、①最終解答ではなく問題提起を求めなければならない、②1つの答えではなく、複数の案を求めなければならない、③問題解決の公式ではなく、問題理解の方法を求めなければならない。

【Ⅲ.マネジメントの組織】
◆今日、アンリ・フェヨールが説いた職能別組織や、ドラッカー自身が『企業とは何か』で明らかにした分権型組織という組織構造では満たすことのできない新しいニーズが生まれている。

組織構造を考えるにあたって、忘れるべきことがある。①課題中心か人中心かという問いには意味がない。職務と組織構造の設計は課題中心に行わなければならない。しかし、実際の仕事の割り当ては人と状況に合わせて行わなければならない、②階層型か自由型かという問いにも意味がない。恒久的な仕事と短期的な仕事の双方のために、ピラミッド型組織とチーム型組織の両方の構造が必要である、③組織構造に唯一絶対の解答があるという信念も忘れるべきである。

◆組織の基本単位を設計するにあたっては、4つの分析を行う必要がある。
 ①基幹活動の分析:「組織の目的を達成するには、いかなる分野において卓越性が必要か?」、「いかなる分野において成果が上がらない時、深刻な打撃となるか?」、「我が社にとって重要な価値は何か?」との問いから、組織の基幹活動を特定する。これが組織の基本単位となる。

 ②貢献分析:何と何を一緒にするか?何と何を分離するか?との問いに答えるには、企業内の活動を全て貢献によって位置づけることが重要である。組織内の活動は、その貢献の種類によって、a.成果活動、b.インプット活動、c.家事活動、d.トップ活動に分類できる。成果活動を他の活動の下に位置づけてはならない。インプット活動を成果活動と同一に扱ってはならない。家事活動は分離し、職場コミュニティに任せる。トップ活動は他の活動とは全く異質であり、後述する(『マネジメント(下)』を参照)。

 ③決定分析:「成果を手にするにはいかなる決定が必要か?」、「それらの決定はいかなる種類の決定か?」、「それらの意思決定をいかなるレベルで行うか?」、「いかなる活動がそれらの決定に関係があるか?いかなる活動が影響を受けるか?」、「いかなる部門のマネジメントが、いかなる決定に参加し、相談を受け、あるいは決定の結果を知らされなければならないか?」との問いに対する答えが、組織における活動の位置づけを左右する。

 ④関係分析:「どこの誰と協力して働かなければならないか?」、どこの誰に対していかなる種類の貢献を行わなければならないか?」、逆に「どこの誰からいかなる種類の貢献を受けることができるか?」との問いに答えることで、活動間の関係が明らかになる。活動間の関係を最小限に絞ることが、組織構造における活動の位置づけについての原則である。

◆いかなる組織構造であっても、組織として最小限満たさなければならない要件がある。すなわち、①明晰さ、②経済性、③方向づけ、④理解の容易さ、⑤意思決定の容易さ、⑥安定性と適応性、⑦永続性と自己革新の容易さ、である。

◆今日、組織の建築家たちに用意された組織の設計原理は5つある。つまり、組織における活動の位置づけには5種類の構造がある。

 ①職能別組織:明晰さに優れている。組織の中の者全てに拠るべき家がある。誰もが自らの仕事を理解する。安定性の点でも極めて優れている。しかし、職能別組織を提唱したアンリ・フェヨールのモデルを多少なりとも超える組織に適用されると、時間とエネルギーの浪費を招き、組織内のエネルギーを間違った方向づけに使ってしまう。規模、複雑さ、イノベーションにおいて、フェヨールのモデルを超える組織においては、職能別組織は単独で使うことはできない。

 ②チーム型組織:メンバーは全員、チーム全体の仕事が何であり、自分の責任が何であるかを知っている。新しい方法やアイデアも容易に受け入れる。事態の変化にも容易に適応する。チーム型組織は、トップマネジメントの仕事に関しては、現在のところ最高の組織構造である。一方で、チーム型組織においては、チームリーダーが何とかしない限り明晰さを欠き、安定性に欠ける。経済性も悪い。コミュニケーションが煩雑化する。自由度が高いだけに、自己規律と自己責任がないがしろにされれば失敗する。

 ③連邦分権組織:企業はいくつかの自立した部門に組織される。それらの自立した部門は、それぞれの仕事ぶり、成果、組織全体への貢献に責任を持つ。それぞれがマネジメントを持つ。連邦分権組織は適用できる分野が広い。現業の仕事もイノベーションの仕事も組織できる。何よりも、連邦分権組織によって、トップマネジメントはトップマネジメントの仕事に集中できる。ところが、自立した部門の規模があまりに大きくなると、その構成単位である職能別部門もあまりに大きくなり、その機能を発揮できなくなる。

 ④疑似分権組織:事業が開発、生産、市場のように分かれているプロセス型の化学品メーカーなどを連邦分権組織のように組織する。事業でないものを事業であるかのように組織する。分権化した組織単位に自立性を与え、少なくとも疑似的な損益について責任を持たせる。各組織単位は、市場価格ではなく、便宜上定めた内部価格によって互いに取引する。

この点で、疑似分権組織において分権化される組織単位は、本当の意味での事業ではなく、その成果も市場での成績によって評価されるものではない。成果は、組織内の意思決定によって左右される。すなわち、移転価格やコスト配賦によって左右される。よって、多くの点で不満足な組織構造である。

 ⑤システム型組織:チーム型組織を発展させたものである。チーム型組織では構成単位は個人だが、システム型組織では多様な組織と個人である。政府機関、大小の企業、大学、研究者個人などである。グローバル企業は、やがてシステム型組織のごときものを開発しなければならない。

しかし、システム型組織に働く者は、自らの仕事を知り、組織全体の仕事を理解し、両者の関係を把握することが難しい。コミュニケーションも問題となる。明日のトップマネジメントの一員となるべき人間を育成することもできない。システム型組織の分解を防ぐものは、人間関係だけである。

《感想》
今回取り上げるのは、ドラッカーの『マネジメント(中)』です。本書では、まず「マネジメントの仕事」について論じられた後、それを遂行するのに必要な「マネジメントのスキル」について整理が行われ、最後に個々のマネジメントのスキルを結集して成果を上げるための「マネジメントの組織」を体系化する試みがなされています。

今回の記事でも前回と同様、3つのパートについてドラッカーの考えを整理するとともに、僕が構想している「新しい日本的経営の立場から若干の批評を加えてみたいと思います。

【Ⅰ.マネジメントの仕事】
ドラッカーは、マネジメントの仕事は多岐にわたるけれども、共通するのは①目標を設定する、②組織する、③チームを作る(動機づけを行い、コミュニケーションを図る)、④評価をする、⑤人材を育成する、という5つだと述べています。

そして、目標の設定に関しては、有名な「MBO(目標管理制度)」を提唱しました。目標管理制度は、しばしば「上から降ってきた目標を細分化して下の目標を設定する制度」ととらえられ、下の階層の社員に自律性がないと批判されることがあります。

しかし、原文のMBOは、正確にはManagement by Objectives "and Self-control"であり、目標の設定に下の階層の社員が積極的に参画すること、そして、その目標の実現を自らコントロールすることが重要だとドラッカーは主張しています。この点で、近年Googleなどで取り入れられているOKR(Objectives and Key Results)と本質的には変わりはないと僕は感じます。

マネジメントの仕事は誰でも学習することができます。しかし、最初から身につけていなければならない資質が1つだけあります。それが、本書に限らずドラッカーが頻繁に使用している「真摯さ(integrity)」というキーワードです。

真摯さを正面から定義することは難しいですが、ドラッカーは「真摯さに欠けるケース」を本書の中で6つ挙げています。僕はこのリストに、「新しいことに挑戦して失敗をした経験がない、あるいは失敗の原因を自らに引き寄せて考えることができない者は、マネジメントの地位に就けてはならない」という項目をつけ加えてもいいのではないか?と考えています。

以上は「伝統的経営」の立場に立った場合の僕の感想です。これを「新しい日本的経営」の立場から眺めるとどうなるでしょうか?まず、MBOで設定する目標は、役職や肩書から一般的に想定される成果を越え、より大きなものでなければならないというのがドラッカーの主張です。現在のビジネスの世界でも、目標は野心的でチャレンジングなものであることの方が望ましいとされます。

しかし、「新しい日本的経営」は、組織としての目的・ミッションを敢えて曖昧にするところから出発しています。目標は、遠い未来に実現したい目的・ミッションに至る途中のマイルストーンであるとするならば、目的・ミッションが曖昧である場合、挑戦的な目標を立てることは不可能だということになります。せいぜい、「ちょっと頑張ってここを目指してみようか?」という程度の、当座の目標しか持てません。

僕の妻は僕から見ると「新しい日本的経営」を体現している1人なのですが、彼女はこう言います。「山登りをする時、最初から頂上を目指してどういうルートで行くかを考えると苦しくなる。とりあえず、この山道の曲がり角まで行ってみよう、この坂を登ってみようといった具合に、目の前の目標を随時立てながら登った方が楽しいし、それで頂上に着くことができれば結果オーライである」。

「新しい日本的経営」では、敢えてふらふらとした小さな目標を積み重ねていくうちに、運や偶然が作用して結果的に何か大きな成果につながることを期待したいと思います。

先ほど、失敗をしたことがない人間は真摯さに欠けるからマネジメントに就けてはならないと自分で書きました。我々は通常、目標に到達しなかったことを全て失敗と言います。ところが、「新しい日本的経営」にはそもそも失敗という概念がないと考えています。

目標の規模が小さいから未達の可能性が低いというのも1つの理由ですが、一見マイナスに見える出来事でも、プラスにとらえ直すことができる力を誰もが持っているというのが最大の理由です。

僕は「新しい日本的経営」の着想を俳優・大泉洋さんの出世作である「水曜どうでしょう」から得ています。この番組の藤村忠寿ディレクターは、「どんなひどいハプニングでも面白くすればいいのだから、番組において失敗というものはない」と話したことがあります。この境地を「新しい日本的経営」に持ち込みたいのです。

【Ⅱ.マネジメントのスキル】
ドラッカーはマネジメントのスキルとして、①意思決定、②コミュニケーション、③管理手段、④マネジメント・サイエンスという4つを挙げています。

まずは管理手段を用いて現実をよく把握し、その情報をマネジメント・サイエンスを用いて分析し、分析結果をベースに意思決定を下し、意思決定の内容についてメンバーとコミュニケーションを図りながら実行に移す、という流れをドラッカーは想定していると解釈できます。

意思決定に関しては、「意見からスタートしなければならない」(p122)と述べているのが興味深いです。最近は、「正しい意思決定のためには、まずは正しい情報・事実を収集しよう」という風潮が強すぎるように感じます。

そもそも、一度証明されたら絶対にひっくり返らない数学を除いて、正しい情報・事実などそうそうありません。科学の世界ですら、「真実」は日々更新されていきます。見えている世界が人によって違うと気づくことを第一歩とし、認識の違いを擦り合わせていきながら、未来に向けて何をすべきかを決断することがマネジメントの仕事です。

ただ、本書でドラッカーが挙げた4つのスキルは、どちらかと言うと組織の内部に閉じた話であるように映ります。マネジメントには、顧客をはじめとする外部のプレイヤーと協働して新しい価値を生み出すという企業家的な側面もあり、そのためのスキルが十分に論じられていない印象を受けました。

「新しい日本的経営」の立場に立った時、マネジメントに必要なスキルをどのようにとらえればよいでしょうか?「新しい日本的経営」は、特別な強みがなくても成り立つ経営を志向しています。したがって、特定のスキルを要求したくないというのが僕の考えです。

ジョン・クランボルツが提唱した「計画的偶発性理論」というものがあります。クランボルツは、個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定されることを発見しました。その偶然を計画的に設計し、自分のキャリアをよいものにしていこうというのがこの理論の考え方です。

そして、偶然を活かしてよいキャリアを構築できる人に共通する「特性」として、①好奇心、②楽観性、③冒険心、④持続性、⑤柔軟性という5つを挙げました。何事にも広い興味・関心を持ち、「何とかなる」と思ってまずはやってみること、一度やったからにはある程度続けるものの、変化が必要だと感じたら素早く変化させること、これが重要だというわけです。

「新しい日本的経営」でもこのマインドが欠かせません。そして僕はこの5つに、⑥社交性、⑦直感性という2つを加えたいと思います。多様な人と交わり、意外なアイデアや人物を受け入れること、そしてひらめきや身体が教えてくれるサインに従うことです。これらも、運や偶然を引き寄せる上で大切だと考えています。僕が言いたいのは、要するに「誰もが持っていたはずの子ども心を忘れないでいよう」ということです。

【Ⅲ.マネジメントの組織】
ドラッカーは、組織を設計するにあたって、まずは①活動分析、②貢献分析、③決定分析、④関係分析を行い、仕事と人の流れや関係を明らかにすることを勧めています。その上で、①職能別組織、②チーム型組織、③連邦分権組織、④疑似連権組織、⑤システム型組織といった類型の中から最適なものを選択するべきだと説いています。

GMの研究に基づいて1946年に発表された『企業とは何か』の中では、連邦分権組織が「産業組織の結論」であると絶対視されていたのですが、本書では疑似分権組織が登場するなど、ドラッカーの中で組織論の洞察が進んだようです。

さらに、組織の類型は先ほどの5つで全てではなく、「第6の組織構造が開発されるかもしれない。(中略)今日のところ、この意思決定中心の組織構造は開発されていない」(p246)と述べて、含みを持たせています。この意思決定中心の組織としては、現代の「ティール組織」や「DAO(分散型自律組織)」が相当するかもしれません。

「新しい日本的経営」では、組織はどんな形を取るでしょうか?個人的には、ドラッカーが挙げた5つの組織類型は、いずれも「閉じた堅牢な系」であると感じます。つまり、組織の内部と外部の間に明確な境界線が引かれ、外部に存在する顧客や取引先、パートナーなどは組織論の範疇の外にあるのです。

「新しい日本的経営」における組織は「開かれた柔軟な系」です。社員と顧客や取引先、パートナー、そして時には競合他社までもが同じ”場”を共有します。そして、個々のメンバーが「社員」とか「顧客」といった固定的な役割を演じるのではなく、役割の柔軟な交換も行われます(社員が顧客になり、顧客が社員になってもよいのです)。メンバーの出入りも自由で、多様なメンバーが偶発的な相互作用を通じて価値の創発を目指します。

こうした組織には、「伝統的経営」のような明確なリーダーはいません。亡くなった野村克也氏は「中心なき組織は機能しない」とよく口にしていましたが、「新しい日本的経営」の組織は中心がなくても何とかやって行くのです。なぜなら、メンバーが皆リーダーシップを少しずつ分け合って、誰もが自分の「楽しい」に夢中になり、没頭し、主体性を発揮するからです。